考えられる環境
どうも。燦太郎です。
私は大学で哲学を専攻していて、当然哲学的に何かを考えることに価値があると思っています。みんなもっと深く考えることをしたら、世の中変わるんじゃないかとまで思っていました。
でも、深く考えるということ自体、そんなに簡単なことではないんだと気づきました。
能力の差もあるとは思いますが、それ以前に、その人が置かれている環境というものがかなり影響しているんですよね。
哲学が生まれたとされる古代ギリシャの哲学者の生活をみてみたとき、彼らは日々考えることに追われてたわけですが、逆に、たっぷりと考える時間や余裕があったということ。
生活に必要な労働は奴隷がやっていたんです。
その奴隷たちには考える時間など果たして与えられていたのでしょうか?そんな余裕もなく毎日せっせと働いていたのではないでしょうか?
真相はわかりませんが、仮にそうだとすると、
現代の状況は、一日思想にふけっていても代わりに働いてくれる人がいる状況というのは少ない気がします。
日々働くのに必死で、哲学的なことを考えている暇があったら企画書の一枚でも書きたいという人に、人間について深く考えようぜ!といってもなかなか響かないのはある意味当然なのかもしれません。
哲学的思考を自分でどんどん進めていくと同時に、周りにも推奨していきたいなーとぼんやり思っていたわけですが、ただ推奨するだけではなく、その人の置かれている環境を考慮することを忘れてはいけないなと感じています。