燦太郎の日記

思ったこと、感じたこと、考えていることを自由に書いています

デカルトの神の存在証明

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

今日は哲学のお話。大陸合理論の代表格であるルネ・デカルトの神の存在証明が面白いと思ったのでそれについて書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

デカルトは17世紀を代表するフランスの哲学者の一人で、「我思う、ゆえに我あり」と言う言葉でも有名です。彼は大陸合理論という、人間の理性こそが我々を正しい知識へと導いてくれるという理性主義的な思想の一つです。簡単にいうと、自分で見たり聞いたりして経験したものよりも、人間が生まれながらにして持った理性をより重視する考え方。

 

 

 

 

 

 

そんなデカルトは有神論者(神の存在を信じる)なのですが、彼の神の存在証明の仕方は後天的証明とも言われています。彼の考え方はこうです。

 

 

 

 

 

 

私たち人間は誰しも失敗するし、何をするにしても自分は完璧な存在ではないということを自覚しています。しかし、その「不完全」という考え方は、完全なものと対比されて初めて成立します。人間が自身を不完全だと思うのは、もともと人間に中に完全なる神というものの観念が存在しているからだとデカルトは言うのです。

 

 

 

 

 

では、その神の観念はどこからやってきたのでしょうか。まずは簡単な例で考えてみましょう。

 

 

 

 

 

 

ここではリンゴを用いて考えます。まず、観念と言う言葉についての説明はこうです(観念はいろんな意味合いを含むので一概には言えませんが、大枠はこんな感じです)。私たちは実際に目の前にリンゴがなくても、リンゴがどんな色か、どんな形か、リンゴが何であるかと言うことを頭で想像することができますよね。この状態について、「私たちはリンゴの観念を持っている」と表現します。

でも、リンゴの観念が存在するためには、実際にリンゴが存在していることが必要になります。つまり、リンゴの実在が原因となり、結果としてリンゴの観念を生み出しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

デカルトは、すべての観念は原因を持っていると主張します。ここで、先ほどの説明のように、私たちは結果としての神の観念というものを備えています。結果があるのなら、原因は必ず存在する。リンゴの観念を持っているなら、リンゴの実在が認められるのと同じで、神の観念を持っているなら、神の実在は当然ながら認めざるを得ないと言うのが彼の神の存在証明です。

 

 

 

 

 

 

これは、パンがあるなら小麦が存在すると考えるやり方と同じで、後天的証明と言い、結果から原因となるものを引き出してくる証明方法の一つです。

この証明を聞いて、突っ込むべきところは多々ありますが、さすがデカルト。かなり合理的な考え方ですよね。納得いかない点も多いですが、そう考えるに至ったデカルトの素晴らしい頭脳には本当に驚きです。これに関してはまた他の証明方法もあるみたいなので、また後日かけたらいいなと思います。