燦太郎の日記

思ったこと、感じたこと、考えていることを自由に書いています

哲学史をまとめてみる#2 ソクラテス、プラトン

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

今日は哲学者の中でも特に有名な、ソクラテスを中心に見ていきたいと思います。

 

 

 

 

この企画の第一回はこちら↓

一度注意事項に目を通していただければと思います

ushfskda6485-sshdajoji.hatenablog.com

 

 

 

#2 ソクラテス、 プラトン 

 

前回、相対主義ソフィストらの話をしました。

ソフィストらによって、学問がいわば道具のように都合よく利用されてしまう危険性を感じて立ち上がったのが、ソクラテスです。

 

 

 

ソクラテス(B.C.470-399頃)/「無知の知

彼はあまりにも有名な哲学者なので、もうそのエピソードについては知っている方も多いと思いますが、哲学史において重要なキーワードと一緒に彼の思想を紹介したいと思います。

彼もソフィストと同様に、自然哲学についてではなく、人間自身の問題について関心がありましたが、ソフィストと違い、本当に正しい知識を身につけることを重視しました。ソクラテスは、正しい知識を身につけることが、徳(アレテー)を備えた良い人間になる第一歩であると考えたのです。

 

*徳(アレテー)とは、卓越性、優秀性という意味。例えば、馬が他の生き物よりも優れている点は「速く走ること」であり、それが馬の徳だと考えられます。ナイフの徳は「よく切れること」です。

ソクラテスは、人間の徳は、「魂が優れてあること」としました。「魂が優れてある」とはどういうことかというと、「正しい諸徳について知ること」であるといいます。

 

 

無知の知

これはめっちゃ有名なフレーズですね。私は何も知らないということを知っている、ということ。つまり、みんな物事の真理を知った気になっているけれども、多くの場合は思い込みにすぎないので、まずは自分自身がどこまで真理に近づくことができているかをちゃんと知ることが大切であるとしました。

 

「産婆術」

ソクラテスはこの無知の知を自分だけでなく、みんなが無知の知に気づくことで、真理に到達できると考えていました。その実践方法として、彼は対話を用いました。彼は対話相手にいくつかの問いを立て、相手の知識の曖昧さを指摘し、無知を自覚させていきました。この問答法は、真の知識を生み出す手助けをしている様子から、産婆術と名付けられています。

 

 

「知徳合一」

前述したように、ソクラテスは知ることは人間の徳であるとしました。正しい知識を得れば、人間はよりよく生きることができるという風に考えたのです。このように、知と徳を同一視する考えを表す言葉を「知徳合一」といいます。

加えて、なぜそのようなことが言えるかというと、ソクラテスには「正しい知を持った人間は、正しく行為できる」ということが前提に置かれているのです。

つまり、正しいことを知っていながら悪行をなすことは彼にとってはあり得ません。

もしそのような状況だとすると、「本当に正しいことを知っていなかった」ということになるのです。これは後にアリストテレスによって批判されますが、ソクラテスと弟子のプラトンは知識と行為についてこうした前提を持っています。

 

 

 

「魂への配慮」

幸せとは、優れた魂であることであり、決して富や名声だけに固執しても幸せは訪れないとソクラテスは考えました。優れた人間になるためには、「魂への配慮」(イマイチ具体性がないのですが、私はこの言葉について、魂を意識して生きるくらいの意味かな?と思いました)が必要であるといいます。

→ここがソフィストとの大きな違いです!

 

 

 

 

 

さて、こうしてソクラテスによって徳の重要性が説かれたわけですが、このソクラテスの考え方のエッセンスを取り入れて、新たな思想を打ち立てようとした人々がプラトン以外にもいます。その人々は小ソクラテス学派と呼ばれます。

プラトンの思想に入る前に、少し見ておきたいと思います。

 

 

 

ソクラテス学派

・アンティステネス(B.C.445-365頃)/「徳以外のものは無用(アディアボラ)」

ソクラテスの徳を行為において追求し、徳さえあれば何もいらないとして、まるで犬のような極端な生活を行ったことから「犬儒派キュニコス派)」と呼ばれます。

 

 

アリスティッポス(B.C.435-355)/「快こそ人生の目的」

ソクラテスの「よく生きること」を「快く生きる」と解釈し、極端な快楽主義を唱え、キュレネ派と呼ばれました。というのも、彼にとって真に知りうるものは、個々人の快苦のみであると考えたからです(こういうのはなんと言えばいいんでしょうかね...主知主義主情主義でしょうか?)。後に出てくるエピクロスの快楽主義とは違い、かなり肉体的な快楽を重視していたので、ギリシャ思想史上最も極端な快楽主義と言われています。

 

 

・エウクレイデス(B.C.450-380頃)/「真理は概念にある」

真理は個物にあるのではなく、それらの概念にあると考えました。後に見るプラトンイデア論よりも究極化させ、善という一者こそが唯一の存在であるとしました。

 

 

 

 

これらのかなり極端な思想を持つ継承者よりも、有名かつ哲学界に大きな影響をもたらし続けている哲学者、プラトンについては次回#2−2でお話しします(予想以上に分量多くて間に合わない気がしてきましたが、できるところまでやる...!)。