燦太郎の日記

思ったこと、感じたこと、考えていることを自由に書いています

表現の自由とは

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

毎日暑くて寝苦しい夜(寝室にクーラー無い)が続いておりますが、明日にも台風が来ると言うことで、ますます湿気がすごくなりそうだと軽く怯えております..

この季節に冷房なしで窓締め切って寝られるのかしら。気温下がってくれ〜

 

 

 

 

 

さて、書きたいことはたくさんあるのですが、最近はなかなかゆっくり書く時間が取れずブログも久しぶりの更新です。

今日はこの間話題になった(というかずっと昔から言われていることですが)

表現の自由について。

税金を使って国に対するアンチを込めたような展示会を開催していいのかという話です。結局展示会は中止されて、日本における表現の自由がないことが証明されたというような報道もされておりましたが...

 

 

 

でも表現の自由ってかなり哲学的に考えても難しい問題なんですよね。

「人を殺してはいけない」などのかなり多くの人が共通して持っていると思われる感覚とは全然違って、人によってかなり考え方に個人差が出てくると思います。

 

 

 

 

まず、芸術に対して全然興味ない人にとっては、この自由の保護はあってもなくても興味がないことかもしれませんし、日本のJ-popみたいに、政治色を出さない、ある意味平和な芸術だけがあればいいと思っている人も多いでしょう。芸術は人を嫌な思いにさせるものではなく、楽しいくさせるものだと。

 

 

 

 

確かにこれも一理あるのですけれども、やはり芸術好きからしたら、みんながハッピーになるだけの芸術なんて面白くないとも思うわけです。

芸術家にとって表現することは、本当に呼吸と同じくらい大切な、なくてはならないものですし、嫌だったこととか、苦しみとか、怒りとか、そういうものを命がけでぶつけているからこそ人の心を揺さぶる作品も生まれてきます。

芸術によって、自分の世界を表現することでなんとか気持ちを保って生きていけているという人も実際に何人か知っています。

 

 

 

 

私としては、表現の自由が、まずこの芸術に真剣に向き合っている人に対する保護になってほしいと思います。単に目の前の表現を守るだけでなく、その人自身を守るような。これは芸術家にとっては基本的人権になりうるのではないでしょうか。

 

 

 

 

アメリカなんかでは特に表現の自由が日本よりも許されてるので、ジャズミュージシャンでも普通に政治色が強い作品をたくさんリリースしています。逆に規制できない分、ヘイトスピーチなどもかなり問題となってはいますが、表現することがダイレクトに生命力につながるという考え方はしっかりあるがゆえに、色んな表現が許されているのかなと思ったり。それに比べて日本の音楽やアートの市場、特に大衆迎合的ではない前衛的な芸術に対する関心がまだまだ小さい気がします。アーティストの海外移住はよく聞きますしね...

 

 

 

 

この間この表現の自由について大学の先生と話していたのですが、その時に、

表現の自由って、表現だけの問題ではないという話になって、これがとても興味深かったです。

というのも、表現それ自体が悪いというよりも、表現するに到るまでの目的だったり、表現の仕方とか、もっとモラル的なことが問われているのではということです。

例えば、昔いじめられていた経験を絵画に昇華する時、

・自分をいじめてきた憎いある個人が特定できるような表現で、気持ちをぶつける

・いじめという概念そのものに対する憎しみをぶつける

という二者では、まるで違うように思います。

 

 

 

 

前者は、表現の自由を利用した個人的な攻撃になってしまっている時点で、これは相手を物理的に殴ることとあまり変わらないか、それ以上にダメージを与えるものです。

公共の場で喧嘩が起こっていたら周りの人が止めるのと同じで、これは自由といえども公共の場に提示していいとは考えにくいです。

後者のように、一般概念化したり、何かワンクッションがあるだけで、全然意味合いが変わってきますよね。

 

 

 

 

言葉の討論の場でも一緒のことで、同じ意味のことを言っていても、言い回しとか、話の対象によって随分印象が違います。それが品の良さの違いなのかなと思ったりもするのですが。

 

 

 

 

 

で、今回の展示会取りやめについての話に戻りますと、私としてはまず、表現した人がどういう意図を持って作品を作り、何を伝えたかったのかがよくわからない限り、その作品に対して批判もできないという立場をとりたいと思います。

おそらく日本の過去の戦争についての表現があったために取りやめになったのですが、個人的にはなんで取りやめられたかがよくわかりません。

慰安婦についての事実があったということを芸術作品を通して知ることも一つの学びだと思うのですが、それが芸術作品だから困難に避難を浴びているのでしょうか、じゃあ歴史的資料だったら問題ないのか?そもそも慰安婦についてのことに触れること自体がタブーなのでしょうか?

 

 

 

 

なんで展示会を途中中止までしなければならなかったんだろうというのも疑問です。

脅迫があったのでということで、それは仕方ないと思うのですが、

もし仮にひどく下品な作品が展示されていたとして、それを後から「あの作品は最悪でした」っていう評価が増えていった方が、展示をしないよりも、そうした下品な作品が減っていく理由になりそうですよね。

きちんと作品を見て、評価を下した上で次の展開につなげていかないと、本当に私たちに必要とされている芸術も見えてこないような...そんな気がします。

 

 

 

 

 

今回の件について私自身もしっかり調べられてはいないのですが、なぜそこまで反発されたのかがいまいち理解できていません。

右寄りの方々が、税金ということに引っかかって意見しやすくなっているということはあると思うのですが...

 

 

 

 

 

今は西洋の思想や国家体制について主に勉強していますが、ちゃんと日本についての知識も入れていく必要があるなと改めて思いました。

年齢重ねるごとに、この国について、ますます自分には関係ないとは思えなくなってくる状況がどんどん近づいている、そんな感じがします。