燦太郎の日記

思ったこと、感じたこと、考えていることを自由に書いています

教育に体罰は必要か?

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

Youtubeでたまたま見つけた討論が面白かったので今回書いてみることにしました。

教育に体罰は必要かということについてです。

 

 

 

現代の意識からしたら、体罰なんてとんでもない!と思う方も多いでしょうし、実際私は義務教育において体罰を禁止されている世代なので、先生から体罰を受けたことはありません。

体罰指導を受けて自殺したり、そのまま大怪我に繋がったりというニュースも多い今日においては、体罰反対の動きが主流となっています。

 

 

 

しかし、討論する番組が成立するということは、もちろんそこには体罰賛成派がいるということです。ここが議論や討論のいいところですよね。世間では厳しい目で見られている反対派もこの場では対等に扱うことができますから、やはり議論や討論の意味はゼロではないと思います。

 

 

両者の主張を見ていきますと、

まず、体罰賛成派の意見としては、人間が成長するためにはまず生命力を養わなければならず、体罰である意味の恐怖を与えることによって、その恐怖から逃げず、それに打ち勝とうとする力を身につけさせることが大切だというわけです。

現代の教育において教師がそうした圧力を失っているため、その結果として若者のニートが増えたり、社会復帰できない人つまり、社会の理不尽さに耐える力が無い人が増えているというのが賛成派の主張です。

 

 

 

一方反対派は、教師が生徒に愛情を持ってちゃんと向き合えば、体罰は必要ないというのが究極的な答え。体罰は暴力であり、それは平等に与えられた人間の権利を侵害するものであるということです。そして、体罰で人が死んでいるのだったら、やはり体罰は良くないというのがその主張です。

 

 

 

まず前者の方から検討してみましょう。

この生命力論に関しては、私は一理あると思います。現代の若者は打たれ弱いとか、すぐに会社辞めるということに関してはいろんな要因があるとは思いますが、耐える力が無いというのは紛れもない事実でしょう。

こういうときに私はすぐにニーチェ大先生の提示する「貴族道徳」の思想を思い浮かべてしまうのですが、まあそれは置いておき。

なぜ忍耐力が無いのかについては、あまり自分が不利な境遇に立たされたことがないということが原因の一つにあるかと思われます。

 

 

 

 

教育において、実際に私たちの世代は甘やかされて育ってきたのです。

私が小学校のとき、先生に対してすごく舐めた態度をとっている生徒はたくさんいましたし、それで授業が進まなかったりもするのですが、それに対して先生は効果もない注意を連発するだけ。教師を辞めさせる生徒もいました。

私は小学生ながらに、もっと抑止力があればこうはならなかったのにと思いました。

 

 

 

子供に考え方を押し付けない、権利を守る自由な教育を!という綺麗事を「悪」として語る体罰賛成派の先生が主張することの意味を理解するためには、

学校教育が社会を教える場であるという根本をまず知らなければなりません。

なぜ集会で整列して話を聞くのかといったときに、これはまさしく組織をスムーズに動かすための一つのモデルであり、小さい頃から教えられることで、身につくようになります。こうした社会を動かすためのプログラムをこなすための教育の役割も大きいのではないでしょうか。

ここで賛成派の先生の主張のポイントは、まず叩き込ませる。そして理解は後からついてくる、ということ。もちろん初めから分かって行動できる子もいるでしょうが、それができない子に対してはまず体で覚えさせないと、社会に出て戦っていく準備すらできないまま社会に放り出され、そして訳も分からず社会から逃げてしまうという結果が導かれるのです。

 

 

 

つまり、社会が成立する上で必要なルールやまたは理不尽さを、学校教育の時点である程度教えるべきだということなのでしょう。

 

 

 

そして、後者の意見。一人ずつ生徒に向き合えば、体罰教育は必要ないという意見について、それはごもっともな意見だと思います。

教師が生徒一人一人に向き合うのは、それはもちろん向き合う存在であって欲しいのですが、その向き合い方が問題になってきます。どの程度まで向き合うべきなのか、そして一番の問題は、向き合う時間と余裕がどれくらいあるのかということ。

先ほどの体罰賛成の先生は、それは理想論で、現実には一人一人に向き合うことができるだけの教師の数が足りていないことを指摘しています。だから、ある程度の規則に則った教育スタイルを重視するのです。

 

 

 

これはかなり難しい問題ですが、私自身の見解を述べると、

自分自身をちゃんと見ていてくれるという存在が、どこか一つでもあれば人間頑張ることができます。それが、先生でもいいし、家族や友人、恋人でもいいわけです。

一番の理想は家族だと思いますが、そうはいかない家庭もたくさんあるので、そういう時は先生の出番かなと思うのです。なので、そういう生徒の場合、先生はよりどころになりながらも、かつ社会を教えるという2重役割を背負うことになります。この2重役割は、できる人とできない人に大きく分かれそうなくらい、とても時間がかかる上に、才能やスキルが必要になってきそうです。果たしてそうした先生を育てる仕組みは整っているのでしょうか...

 

 

 

なので、生徒に一人間として向き合うのは当然のことですが、どの面から向き合うかという、教育のそもそもの役割みたいな話になってきてしまいます。

ですので、体罰賛成派の人は、社会適応能力を身につけるための教育に特化した考え方ですし、体罰反対派の人は、人間としてどう育って欲しいかというような、もっと広い視点で教育を捉えているのです(そりゃあどれだけ討論しても拉致があかないよね)。

 

 

 

ここで私の思うことをズバッと申し上げますと、以下のようになります。

・人が死んでいるんだから体罰は禁止にした方がいいという論はちょっと極論すぎる。

・つまり、体罰自体が問題なのではなく、体罰をする(手加減ができない)先生に問題がある。

体罰を禁止するならその代わりになる生徒に対する抑止力を先生に与えた方がいい。

 

 

 

体罰はいけないという風潮は本当に最近起こってきたもので、ここにまず注目ポイントがあります。ではこれまでの昭和の教育で行われてきた体罰が、現代の風潮に合わないのは、環境など時代背景も大きく関わっています。

炎天下の中、罰ゲームとしてグラウンドを何周も走らせるのだって、昭和でもあったでしょうが、昔に比べて日本の夏の気温は上昇傾向にあります。また、クーラーとの寒暖差に身体が慣れないとか、そうした環境の変化があるにも関わらず、昭和のやり方を貫き通す。これは明らかに間違っていることです。

 

 

 

だから、今の時代に合わせたなんらかの抑止力を開発するか、もしくは体罰以外の抑止力が見つからないのであれば、体罰する上での度合いや注意事項を教師側に徹底的に叩きこませる方法しかないのではないかなーと思うのです。

いうことを聞かない生徒がいた時、

まずは話をして説得させる(ここも先生の技術が問われるところですが)。

そしてそれでもダメなら、最後には職員室にある、痛ーいお尻ペンペンマシーンの刑が待っているとか。

まあそれはなんでもいいのですが、とにかく何か「やばい」と思わせるものをチラつかせておく必要はあるのかなと。

もちろんそうした物理的抑止力がないのが理想ですが、それで教育がうまくいっているとは実体験からしても思えません。教えてくれる先生がノーベル賞受賞者級に目に見えてわかりやすい価値を持っているとかだったらそれ自体が抑止力になるのかもしれないけれど。

 

 

 

 

体罰で生徒が死んでしまうたいていは、教師のやりすぎによるものです。

(やりすぎてしまう人は、1回アリストテレス先生の思想に触れてみたらいかがでしょうかね...)

だからそのやりすぎてしまう部分をまずどうにかしたらいのに、体罰自体がダメなんだ!ってかなり極論ですよね。教師がそうなってしまう理由をちゃんと探して、メンタルヘルスをするだとか、校長からしっかりその教師に注意するだとか、そうした個別的な解決だけでだいぶ改善するような気がしますし、それでもダメだったら、体罰を絶対禁止にしたらいいのでは?と思います。

 

 

 

 

(話飛びますが、NGT48のSNS使用禁止だって極端すぎるし、運営側がしっかり彼女たちを指導する気がないのかなって思ってしまいますよね...)

 

 

結構長くなってしまいましたが、皆さんはどうお考えになるでしょうか。

ゆとり教育は失敗だと言われていますから、また少し引き締まった教育スタイルに戻るということも可能性としては感じている今日であります。日本の教育、どうなるのかなぁ。