燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

毒づきた〜い

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

時々、無性に毒づきたくなる時があります。特別ムカついたことがあるとか、すごく機嫌が悪いとかそういう状態ではないのにも関わらず、です。人の悪口を言いたいというよりはむしろ、自分の考えていることをズバッと言いたい!という感情が近いのかもしれません。

 

 

 

 

 

普段色々と考えていることがまとまってきたり、大きな発見があったりすると、それがどんどん自分の中に蓄積されていき、発散したいという気持ちになってきます。その一環としてブログもやっていますが、やはり次の思考に繋がるのは人との対話が一番効果的です。発見や疑問を人に話して、また考える材料やエネルギーをもらうことで、また色々なことが活発になってくる。そういうサイクルが自分にとっては必要だと最近は特に思います。黙々と本を読んでいるだけではなく、そこから得たものをうまく自分の中で消化して誰かに伝えたい。人と人とがぶつかり合い、影響しあって発展するのが哲学的思考ですから。

 

 

 

 

 

でも、自分の考えを強く言える場って本当に貴重。滅多にありません。私は空気を読んでしまう人間という自覚がありますので、こういうこと言いたいけど今この場では言えないよな〜と思ったりとか、そもそも話を掘り下げすぎるとその場がしらけたりするのが怖い。

その中でも哲学を共に勉強している人は話しやすいのでとても感謝しているのですが、他の分野の人の意見や考え方も知りたくなります。

大人になってお酒の席が増えたら真面目な話をする機会が増えるかも!という期待も半ば崩れかけ。大体の人はあまり深く考えず、楽しくわいわい飲みたいようです(そもそも真面目な話に対して興奮してしまう私が人とはズレているのだと思います...)。

 

 

 

 

 

少し客観的な視点から批評するだけで、disってる!と言われた記憶もあるので、本当に言葉や発言する場所には注意しなくてはと常に思っていますが、とうとう言いたいことが溜まってくると、「あゝ、毒づきたい...!」と欲が出てきます。

誰かと話したいと思うということ、これは一般的に「さみしい」と言われる現象なのではないか?とも思ったのですが、別に喪失感はないし、一緒にいるだけでいいとかではくむしろデットヒートな議論を炸裂させたいという欲求なので、みんなが言うさみしいとは少し違うものなのかなと思ったり。

 

 

 

 

 

私が下宿していたら、友達を呼んで夜通しうだうだ駄弁ることができたのかもしれないと思うと、下宿したいな〜としみじみしたりしています。

同じく毒づたいと思っている、爽快に毒づきあえる仲間、募集!!!笑