燦太郎の日記

思ったこと、感じたこと、考えていることを自由に書いています

サーモンの切り身は生き物なのだろうか

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

私は言わずとしれたJRユーザーであります。

毎日目にする車内や駅の広告がありますが、その中に、電車のマナーを啓発する類の広告が貼ってありますよね(いいマナーを!みたいな広告自体に疑問を抱いている話はだいぶ前のブログで書いた気がしますが、忘れました)。

 

 

 

 

 

最近JRが推しているのは「マナーいきものペディア」というゆるいイラストのキャラクターでマナーを啓発する広告です。座席を譲らない「寝たふリス」や、順番抜かしの「横カラスー」など、動物の名前とマナー違反を掛けたキャラクターを使っています。

イラストもなかなか可愛く、新しい動物たちがどんどん出てくるのも魅力なのでついつい目に入ってしまいます。

 

 

 

 

 

そして今日車内で始めて見たのは「うるサーモン」という新キャラ。

お察しの通り、車内で大声でしゃべるのを注意するためのキャラクターなのですが、

イラストは、魚ではなく、魚の切り身でした(イメージはサン○オのキリミちゃんみたいな感じです)。

まぁ確かにサーモンと言われれば、魚そのものよりは寿司ネタのあの見た目を想像してしまいますけれども、果たして切り身はいきものなのかという超重大な問題が発生しているのではないですか??

 

 

 

 

 

私達は肉や魚の刺し身などについて、いきもの「だった」と捉えてはいますが、食べる直前にこれはいきものである!という意識はかなり薄れています(意識したら逆に食べられなくなってしまうこともあるかもしれません)。 

いきものについて考えるのが面白い点は、「命あるもの」から「ただの物体」となる瞬間があるということ。

 

 

 

 

家畜の話を例にだしますと(苦手な方はご注意ください)、

家畜が屠殺される瞬間を人間の子どもたちが目の当たりにしたとき、殺される瞬間は皆悲鳴を上げたり、目を伏せたりするけれども、家畜の皮が剥がされ、内臓が出されるところなどは全く怖がらずにまじまじと観察する様子が伺えるという話を聞いたことがあります。

つまり、まじまじとその様子を見ることができるのは、彼らの中でその家畜は「単なる物体化」してしまったという一つの根拠になりそうですよね。こうなると、私達は確かに死んでいるものに対しても嫌悪感は抱くものの、恐怖感については、命が絶たれるその瞬間がピークなのかもしれません。

 

 

 

 

するとすると、やはり私達は魂なるものの存在を心のどこかしらで感じているような気がしてきませんか?単に生物としての生存機能が停止したということではなく、魂が肉体を離れてしまったというなんとも言えない怖さが込み上げてこないでしょうか?少なくとも私は魂と肉体の分離に心がざわつきます。心身二元論者なので(笑)。みなさんはどう感じるでしょうか。

 

 

 

話を戻しますと、やはり切り身をいきものとするのには少し無理があるんじゃないかなーというのが私の結論です。切り身は完全なる物体です。まあキャラクターにしてしまえば物体に命が吹き込まれるのかもしれませんが、そうなると他のいきものキャラクターとはかなり違った立ち位置になってきますよね。現いきものと元いきもの(の一部)という謎の構図が誕生してしまいます。

 

 

 

まさか、いきものを生物(なまもの)と捉えて、生のお刺身という巧妙な言葉遊びを展開しているのか…?

真相やいかに…