燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

大学の講義

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

 

皆さんご存知の通り、大学では自分の好きな授業を選んで履修できることが多いですよね。私自身もかなり講義を自由に選べる学科にいるのですが、今日まで大学に通っていて思うのは、授業の面白さは内容よりも教授や講師の面白さに起因するということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

大学ではシラバスという授業内容や評価方法が詳しく書かれたリストが配られます。

いわば飲食店のメニューと同じようなもので、私たちはシラバスを見て興味がある授業を選ぶのですが、シラバスに載っている内容が面白そうでも、やはり教授の印象が良くなければ一気にやる気が削がれてしまうんです。

逆に、内容はあんまり興味がないけれど、その先生が好きなら耐えられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はやはり自分の考えること、思っていることを生徒に必死に伝えようとしている先生が好きです。

その先生がこれまで時間と労力をかけて情熱を注いできた学問への愛がこちらに伝わる瞬間、ああ〜、これが大学だなと思うんです。

正直、「今時の大学生はこんなこと興味ないだろうし、単位とりにきているだけだろう」と思っている先生もいるだろうなと体感的にわかります。あんまり教えるのにやる気がなさそうというか、自分の研究を淡々と述べるだけの講義もありますし。

逆に、生徒の方が、大学の先生たるもの主観的な意見を全面に出して授業するべきではないと主張する場合もありました(歴史系の授業になるとそれが色濃い。いろんな立場があるゆえ...)。

 

 

 

 

 

 

 

 

確かに強い思想というのは時に若者をグッと惹きつける力がありますし、学生運動だったり、そういうのを抑えるために大学から教授への規制が働いているのかもしれませんが、ただ事実とか、研究の成果とかだけを教えられてもいまいち面白くない。

その研究を通して先生が何を思っているかとか、これからその考えを使ってどう世界と向き合っていくのかとか、そういうことも知りたいです。

だから、自分の実験で世界を変えられると本気で思っている教授や、その学問が好きで仕方がなくてついつい話が熱くなる先生、伝えたいことが多すぎて早口になってしまう先生に魅力を感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

この先生かなり思想が強いなと思っても、それにどれだけ影響されるかどうかは自分自身の判断なわけですから、「本当にこの先生の言っていること正しいのか?」と思うくらいの意識を自分自身は持っておきたいなと思っています。

考え方が偏るというのは一般的にあまり良くないとされていますが、真理を追求する場である大学において、「結局世の中に絶対なんてないし所詮相対主義だ」と言って終わらせてしまうのはなんだか味気ない。

あまり意志がない状態でゆるーく学び、知識をつけるだけでは高校と同じで、一定の熱量を持って学問に向き合い、その結果、その知識を今後どう生かしていくかがやっぱり重要だと思います。

こういう研究をして社会でこう役立てる!とか、専門の職に就くためのスキルを身につけるために学ぶとか、自分の生き方について考えるために学ぶとか、

学んだことを実際に使っていく、自分自身の思考に反映させていくことまで教えてくれるのが、大学における面白い講義の在り方かなと感じます。