燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

平等と競争心

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

これまで、小学校や中学校で、「みんな平等」と教えられてきました。

でもこの数年間で、人間は平等じゃないという結論に私は至りました。

 

 

 

 

 

美しい容姿で生まれてきた人と、そうでない人では明らかに与えられたものが平等ではないと思います。やはりどう考えたって世の中には優劣というものがあるんです。

 

 

 

 

 

 

でも私は優劣をつけること自体が悪いことだとは思いません。何に優劣をつけるかというセンスは重要になってくるとは思いますが...

優劣がつくところには競争というものがつきものになってくると思います。競争が優劣を生み、優劣がまた新たな競争を生む、という繰り返しです。

競争心って人を奮い立たせる一つの重要な要素だと思います。自分が劣っているのが悔しい、もっと上を目指してやるという気概がその人をパワーアップさせています。

 

 

 

 

 

 

 

私自身は結構負けず嫌いなので、ほかの人より優れていたいという思いも強いです。

けれど私の周りでは、あまりそう思っていない人が多いように思うのです。もちろん負けず嫌いで、上を目指す気概がある人とは気が合うので付き合いを持っていても楽しいのですが、最近は正直、競争心がない人の気持ちがよくわからないのです...

 

 

 

 

 

 

なぜこんなにも競争心がないのか、その人と自分の気持ちはどういうところが違うのかというのを考えていました。すると、「平等」ということと関係あるのではという話を聞いて、なるほど納得。

昔はテストの成績がみんなの前に貼り出されたりしていましたが、いまは非公開が多い。

幼稚園のお遊戯会での劇では主役の桃太郎が1人ではなく5人くらいいたり(これはみんな主人公になれるよみたいなアピール?)。

こうして幼い頃から変に「平等」が使われて来た影響が少なからずあるように思います。優劣を前面に公開することに関して否定的な風潮が、競争心の希薄化に繋がっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ここで注意。確かに基本的な人権とかは平等です。命に重さについて簡単に差をつけることができない感覚は私も持っています。ポイントなのは、これらは「権利」が平等ということです。個人の能力が平等ということではない。それをちゃんと意識していない人が多いのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

スポーツ競技など、お互いの権利をちゃんと認め合った上でする競争には一種の美しさも感じますよね。競争が良いとされていることもある中で、なぜ「平等」がこうした影響を与えるに至ってしまったのか、これからどういった変化を遂げていくのかについてはまだまだ考える余地がありそうです。