燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

家族とシェアハウス

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の年齢が上がるにつれて、家族の対応がだんだんと変わってきますよね。わかりやすくいえば「親離れをする」「子離れをする」とでもいうのでしょうか。

もともと私の家庭では、両親は私のことを「我が子」としてではなく、「いち人間」として育てたと言っているのでそもそも「子離れ」という感覚があまりない気がしますが、それは置いておいて。

 

 

 

 

 

 

 

 

自身を振り返ってみると、最近まで親離れできていなかったと思います。私は実家通いなので、身の回りのことを自分でしていると思いながらも、やはりちょっとしたことで親に頼っていました。それに対し、基本自分のことは自分でやりなさいというスタンスの両親。正直いうと親に対してかなりムカムカするときがたまにあって、その原因がよくわからなかったのですが、今となってはそれは甘えたいけどもう甘えられないという葛藤からくるものだと理解。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その葛藤を乗り越えるためにはどうすればいいのかと考えた結果、ナイスな作戦を思いついたのです。それは、現状を「家族という間柄の人々とシェアハウスしている」と捉えてみるということ。家族といえどまずは人間。自分とは違う人間と同じ空間に暮らすと考えると、自分はもっとしっかりしようという気持ちになり、変な甘えた感情もだんだんと薄れてきて、ムカムカもなくなってきました。一人暮らしの人に比べたら、まだまだ食事なんかも頼っていますし、洗濯も家族のものを一気に洗っていますが、なんでも自分でできそうなことはやってみる。家族と一緒にいても、自分が意識すれば自立に近づけることができるというのはなかなかに発見でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもそれって家族に対して他人行儀な感じがしてあまり気分がよくないと思われる方がいるかもしれませんね。私が思う家族は、そうした生活とか目に見えるものを共有するというよりも、むしろ目に見えない精神的なつながりを持つ人間関係です。血が繋がっているから分かり合える部分とかありますし、そうでなくても長い間一緒に過ごしていることでお互いのことを理解し合ったり、嬉しいことや辛いことを共有できる関係。

どれだけ同じ食卓を囲っていたって、そこに気持ち的なつながりを感じなければそれは家族としては本質的に機能していないように思います(なので家族として機能していない「見た目家族」はそこら中にいると私は感じます)。

 

 

 

 

 

 

 

なので私の持論からしますと、家族とはシェアハウスしているにすぎないという自立意識は、家族のあり方を壊してしまう脅威にはならないのです。

まあ一般的な家族のあり方や考え方とはかけ離れたものになっているかもしれませんが、家族ということを第一におくより、まず一人の人間だと考えたほうが色々なことがスムーズかつ良好に進んで行きます。

とりあえず、家族という関係から生じる変な甘えにはもうグッバイしたいです!