燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

「自由研究」の制度について

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

今日は昨日の続きということで、自由研究の制度について考えていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

そもそも自由研究とは、小学校や中学校で夏休みの宿題として課されるもので、自分でテーマを決めてそれについて詳しく調べたり、何か工作のような形で一つの作品を作ったり、というのが一般的ですね。

 

 

 

 

 

 

 

この自由研究については賛否両論あります。

まず課題を課す教師側には、与えられたものではなく、自分が疑問に思ったことなどについて自分で考えて課題に取り組むという姿勢が生徒にとって良い効果をもたらすという考えがあります。確かにこうした学習姿勢は、後々大学での研究なんかにも結びついてくることだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、これについては、小学一年生の子が取り組むには難しい、受験勉強が忙しくて時間がないという意見が多くあるようです。つまり、子供が自力で課題をこなすことが理想論的になってしまい、現実性を帯びていないという状況が少なからずあるということです。そこでそのギャップに注目したのが自由研究代行ビジネスということになります(詳細は昨日のブログ参照)。

 

 

 

 

 

 

 

私自身は、自由研究自体に反対ではなく、その制度に問題があるという立場です。

ビジネスで作られた作品を提出するより、その課題の基準をもう少し工夫して、自力でも提出できる状況を作るのがいいのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

まず、なぜそんなビジネスがまかり通っているのかと考えて見た時、問題となるのはその自由研究を評価する基準です。

生徒が自分自身でやったという過程よりも、その作品の完成度が評価される現状があります。実際、自分が頑張って一人で取り組んだものよりも、ほとんど親が作った友人の作品が自由研究の賞をとっていたという話も聞いたことがあります。

これこそ自由研究の形骸化で、先にあげた教師側の考えがまさに理想で終わってしまっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん研究するにあたって完成度が高いに越したことはありませんが、結果よりも過程を評価してあげることができれば、生徒もより自分で取り組みやすくなるのではないでしょうか。仮に作品が完成できなかったとしても、興味を持った理由を聞いてその着眼点を評価することもできます。これは生徒一人一人に対応する必要がありますし、大変なことですが、全員に自由研究を課すのであればそれくらいのことをして初めて自由研究の意義があると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

上に書いたような、生徒全員の自由研究の評価が難しいのであれば、読書感想文などの他の課題との選択制にするのも一つのやり方だと思います。親に全てやってもらうくらいなら、それぞれ課題が違っても、とにかく興味のある、自分の力でできそうなものに取り組んでもらうことが大切ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

ここまで2日間に渡り色々と書いてきましたが、こういったビジネスが勢いを増しているということは、自由研究という制度をもう一度見直すべきだというメッセージです。

おそらく、私たちの世代が親になるまでには大きな変化があるでしょう。教育制度というのは子供の形成に絶大な影響があるので、そうした変化に対してよく考え、しっかり自分の意見を持ちたいですね。