燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

「大丈夫?」という言葉

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

普段何気なく使っている「大丈夫?」という言葉。いろんな場面で多様な使われ方をしていますが、多くは相手のことを心配した時に使いますよね。この一声をかけてもらうだけでだいぶ気が楽になることもたくさんあると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、よく考えて見たらこの言葉には一種の強制力があるのではないかと思ったのです。「大丈夫?」と聞かれた時、多くの場合は「大丈夫」と返します。

本当は大丈夫じゃなくても、相手に心配かけないように、大丈夫と返事をしてしまったことはないでしょうか?これは私個人の感覚かもしれませんが、「大丈夫?」の返事は

「大丈夫」という刷り込みがどこかにあるように思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

このことに気がついたのは、ある中学校で起こったいじめによって、一人の生徒が自ら命を絶ってしまった事件に関する事例を読んでいた時のこと。

その自殺をしてしまった生徒は、いじめを受けつつも、先生などには相談もしていなかったと言います。いじめの事情を知っていた友人も彼を気遣っていましたが、あまり頼るそぶりを見せなかったようです。その彼の周囲の気遣いがまさに「大丈夫?」という言葉でした。彼は「大丈夫」と答えたようですが、実際には全く大丈夫ではありませんでした。

 

 

 

 

 

 

この質問に対して、「いや、全然大丈夫じゃない」と真剣に答えることはなかなか勇気のいることのように思います。質問者が半ば「大丈夫」という答えを期待しているのがわかってしまうからです。

 

 

 

 

 

 

ここで、私はこの気遣いの仕方に関して否定的ということではありません。私自身もよくこの言葉を使いますし、相手を真剣に心配して使う時だってもちろんあります。

ただ、私が主張したいのは、何気なく使っているこの言葉の使いどきって結構重要なのではないかということです。

今回のいじめの例を取り上げると、大丈夫かそうではないかを問う前に、相手が本当に大丈夫であるかどうかというこちら側の推測を立てた上で、まず何があったのかを聞くことが最優先だったのではないでしょうか。

相手に、大丈夫と答えるだけでは終わらせないようにして、相手が周囲の人に頼りやすくなるような工夫を凝らした質問をなげかけることも、もしかしたらできたのではないかと私は考えました。

 

 

 

 

 

 

実際の現場にいたわけではないので、あまりはっきりとしたことは言えないのですが、相手を気遣うことと、本当に相手のためになっているかということは完全に一致しているかどうかはわからないということを改めて考えさせられました。