燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

「科学信仰」

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

中世ヨーロッパがキリスト教の時代であるなら、現代は科学の時代なのではないでしょうか。今では科学的に物事を考えることは当たり前になっていて、科学的に証明されないものは信じないという人も多いです。

 

 

 

 

私も現代に生まれたので、意識せずとも科学的な考え方が自然に刷り込まれていると自分でも感じるのですが、哲学を学ぶ以上、「科学」というものについても、一回立ち止まって考える必要があります(科学は哲学よりも新しい思考方法であるので)。

 

 

 

 

 

そのなかで面白いと思ったものは、「科学信仰」です。この言葉が正しい言葉として存在しているのかはわかりませんが、意味としては、科学で証明できないもの以外は信じないというのは、神を強く信じていることと何ら変わらないということです。

 

 

 

 

 

そもそも科学というものは、事実の証明に過ぎません。まず事実があり、その事実がどういう過程で成り立っているのかを説明するのです。万人が認識している事実がどう存在しているかは言及できますが、それ以外のこと(目に見えぬものなど)が事実ではないということは説明できません。

 

 

 

 

 

科学で説明できないものは、事実として存在しないということは科学で証明できないのです。こうしてみると、一見合理的に見える科学についても、「科学は信じるに値する」という、宗教と同じような信仰の力が働いていることに気づきます。

 

 

 

 

 

私もこの考え方を知って、はっ!となりました。今まで当たり前だと思っていたことの見え方ががらりと変わる。これが哲学について学ぶことの素晴らしい点だと思います。

私は全然アンチ科学ではないですし、むしろ科学の考え方は好きな方なのですが、

「科学は宗教よりも優れている」という考え方には反対です。歴史の流れをみても、信仰する対象が変わっているだけで、なにかを強く信じていることに変わりはないのです。

 

 

 

 

 

 

強い宗教信仰が招いた悲惨な過去も多くありますが、それと同じことが現代でも起こり得るし、その同じ過ちを繰り返さないためにも、哲学的な考え方が必要なんだと改めて感じました。