燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

ロフトバレンタイン広告

 

 

どうも。燦太郎です。

まだテストが終わっていないので気が休まりません。春よ、はやく来い〜…!

 

 

 

さて、少し前に苦情がきて取り消されてしまったロフトのバレンタインの広告について考えたいと思います。

私もネットで知ったので、動画も直接は見れなくてすごく残念だったのですが、どうやら女子がキャピキャピしてる裏でお互いのことを蹴落とそうとしている内容だったようです。

 

 

 

これについて、

女子を貶めたいだけ!

なに顧客に喧嘩売ってんだよ!

といった批判が多数寄せられ、ロフト側は謝罪し広告の取りやめを発表したのです。

 

 

 

そういえば、嵐の引退会見で失礼な質問をした記者に対して感情を露わにしてしまったアナウンサーが、「報道の自由の観点から記者の質問は擁護される」という批判をうけ、後日アナウンサーが謝罪してましたね。

 

 

じゃあ表現の自由もあるやないかい!

 

 

って思っちゃったんだけどなぁ〜

 

 

そりゃ色んな表現方法がありますから、気分が害されることはあるでしょうが、すぐ取りやめるのはどうかと思いますし、すぐ謝罪する風習もなんだかなって感じです。

 

 

適切か不適切かはあるにしても、

誰にもトゲがない広告はあってもいいだろうけど、誰の心にも刺さらないものばかりできてしまいそう。

 

 

 

世間の意見では、風刺も理解できないなんて!という私に近い考えの人も多くいるようですから、その割合がどれくらいなのかちょっと興味はありますが。

 

 

 

にしても、今回の件で立腹した女性(男性もいたかもしれませんが)は、一体何に怒っているのでしょうか。私はその点が一番疑問なのです。

 

 

 

女性のことを悪く言っている!そんな友情感はもう古いよ!という批判、もしかすると怒っている人は女性を代表する正義感に満ち溢れている人なのかもしれません。

 

 

 

私なんかは、「世間ではこう言われてるらしいな、私にはよくわからんが」とか

「女の本質って怖いね〜、でもそういう性質なんだから仕方ないね〜」って割り切るタイプなので、彼女たちはご立派です。

女性像に対してそこまで怒れるというのは、何か強い思い入れがあるのでしょうね…

 

 

 

確かに周りが決めつけてくる女性のイメージに悩まされることもあるのかもしれませんけど、

「世間ではそう言われるが、私はそうではない」という自己表現の仕方もあるのではないですか?

 

 

 

ここで面白いのが、批判の内容に、

女子はそんなことしません!というものは一切ないということ。

悪口じゃん!というだけの批判は、実際女の性格の悪い一面を認めているようにも聞こえます。disられてる!って思うってことは、何らかの自覚があるということでしょ。

 

 

 

でもこういう広告で真実を見つめ直すのも大切だと思いませんか?

自分が観察対象にされて、分析されるというのは嫌だという人も多いと思いますが、真実をつくというのはdisっていることではありません。

「Aは真実である」で話は一旦終わってますから。その時点でAになんの評価も与えていません。

「人間は死ぬ」ということについて普通は誰もdisってないでしょう?これをdisれるのは神様くらいしかいませんから…

 

 

 

おそらく、この広告を作った人も、絶対に女性をdisるためにこの広告作ってないでしょう。

だって顧客ですから。

「女性ってこういうところあるよね」っていう真実をついただけなのではないですか(その表現方法が気に入らなかったのかもしれませんが)?

 

 

 

もうそろそろ「批評=dis」っていう構図なくならないかしら。

みんな何も言えなくなるよほんとに。

今日もいい天気ですねしか言えなくなっちゃうよ。私はそんな世界嫌だけどな。

 

アイドルについてゆる書き

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

今日はアイドルについてゆるゆる書いていきます(長いので適当に読んでいただけると嬉しいです。真剣に読んでくれたらもっと嬉しいです)。

 

 

 

前も書いたかもしれませんが、私はアイドルのMVを見ることが好きです。でもライブとかは全然興味がないしお金をアイドルにつぎ込んでいるわけではないので、ドルヲタではありませんが、単にかわいい女の子がキラキラしている動画を見るのが好きなのです。

 

 

 

 

かわいい、美しいものが目の保養になるというのは紛れもない事実であります。

でも今本当にアイドルが多くて、ご当地でも何でもすぐにアイドル化してしまうものですから、今やそのグループの個性が試されるアイドル戦国時代です。

かわいい、きれいだけなら山のようにいるんですよね〜...大変な時代です。

そう考えると、昭和のアイドルたち、松田聖子中森明菜山口百恵ピンクレディーあたりの超カリスマ的存在を生み出すのは難しい環境なのかもしれません。

 

 

 

 

アイドル界を引張ってきた48や坂道グループもやはり組織としての力が働いています。

そう思うと、多様性を好む今の時代にあった運営の仕方ですよね。自分の好みの子を選んで推せるわけですから。

 

 

 

 

それと、昭和の大スターとの大きな違いは、ウブだった子を人気者に育て上げると言った、アイマスのような育成シュミレーションが現実化しているということです。

初期の頃から応援して、いつかこの子に夢を見させてあげたい!という。

昭和のアイドルは、完璧な存在で、トイレにだって行かない!と言われていたくらいですから、育てるように応援するというのはおこがましささえあったでしょう。

でも現代のこの風潮はアイドルだけに限らず、インディーズバンドだったり、いろんな方面に現れている傾向のようです。知り合いのバンド好きの高校生の話によれば、youtubeなどであまり有名でないインディーズバンドを見つけてはファンになり、そのバンドが売れてしまったら熱気が冷めてしまうらしいです。何とも不思議です。

 

 

 

 

いろんなアイドルがいる中で、かわいいだけじゃ売れなくなった結果、様々な個性を発揮しているアイドルグループがたくさんいます。

最近は「フィロソフィーのダンス」という4人組が面白いです。アイドルの曲は結構面白いのがたくさんあるのですが、彼女たちの楽曲はとってもファンキーかつソウルフルです(作曲の本気度が伝わってきます)。MV制作のセンスも素晴らしくて、60年代や90年代など、古き良きサウンドや映像をいい具合に取り入れているんです。常に新しいことを発信しなければならないこの時代だからこそ、温故知新は異彩を放っています。

 

 

 

 

 

今はもうだいぶメンバーが変わってしまいましたが、「でんぱ組.inc」を初めて見たときも衝撃でした。今でこそこういうアイドルはたくさんいるのですが、MVの作り方と曲のごちゃごちゃ感というか、本当に秋葉の文化が具現化されたようなビッグインパクトでした。私はヒャダインさんの書く曲にいつも反応してしまうのですが、なぜかももクロよりはでんぱ組が好きです。

最近嬉しかったことは、メンバーのえいたそがプリキュアの声優に決まったことです。

えいたそがプリキュア大好きだったことは知っていたので、感動してちょっと泣きそうになりました。

 

(なんか本当にオタクみたいな文章になってきたな...)

 

 

 

 

 

そしてそして、私が今最も主張したいのは、「病み、闇」を結構全面的に出してくるアイドルが増えているということなんですね〜

これはかなり社会学的トピックになりそうなくらい分析対象になると思っています。

ぜんぶ君のせいだ。」ってアイドルグループがいるのですが、もう名前の時点で病んでるし、「病みかわいい」を売りにしているアイドルグループです。地下アイドルは存在自体が結構闇を抱えた印象が(私には)あって、メンバーがコロコロ変わるグループもめちゃ多いんです。握手とかだけでなく、かなりスキンシップをとるようなチェキ会などをやって、儲けを得るなんて方法も普通にあるらしいので、何とも言えない気持ちになってしまいます。

 

 

 

 

 

地下でなくても闇を魅せているのが欅坂46です。新曲の「黒い羊」の歌詞は結構病んでましたね。僕がいなくなれば全て解決するんだろう的な歌詞(そんなことは決してないと思った)で、平手ちゃんの現状とうまくリンクさせて秋本氏は本当にそういう才能だけはすごいなと思うのですが。

「不協和音」あたりから、力強さに心の闇がプラスされた感じの歌詞が多くなってきましたね。月曜日の朝にスカートを切られたりね...

私は元気な姿をアイドルに求めているので、「二人セゾン」「世界には愛しかない」とかの楽曲が好きなのですが、現在の若者は、苦しみながらも戦っている姿を見ると、応援したくなったり、かっこいい!という風に思考が働く人が多いようで、それがとても興味深いとは思いませんか。

 

 

 

 

でもこれ本当に今の時代だから流行っていることで、何十年かしたら、「あの時流行ってたアイドルちょっと怖くね?ファンもすごい病んでるやん」みたいな感じになるのではないかと思って私は生きるのが楽しみになりました(おい)。若者は面倒臭がりで、生きることに活力を見出せない人が多くて、やる気がなくて、とよく言われますが、正直自分も含め、その人とちと一緒にいたら全然わからないんですよね。一緒にいるから。若者が情熱を持っていた時代とか知らないし...

 

 

 

でもこうして、何が流行ってるとか、その時代の多くの人の心を掴んだものは何なのかを分析すれば、そういう世代間のカラーみたいなものが見えてくる気がして、その一例にアイドルを考えてみたら面白いんじゃないかと思ったわけですが、確かに中森明菜のかっこよさと欅坂のかっこよさって明らかに違うし、その時代を反映したものになってる気がする。じゃああと何十年かしたら世のトレンドがどういう風に変わっていくのだろう、その時になって、初めて自分たちの世代について語れる時がくるんじゃないかなーと思ったり。何だかそういうのを知るのを生きがいにしても楽しいですよね。

 

 

 

 

ってダラダラ書いてたら課題のレポートとおんなじくらいの分量になってた。

たまにはこうしてうだうだ書いてもみたいじゃないですか!

もし最後まで読んでくれて人がいたら、ありがとうございます。

 

読書スピード

 

 

 

 どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

最近急に読書のスピードがあがりました(うれし〜)。

読書のスピードは、ある程度鍛えたら効果がでるということらしいです。

自分が思ってる以上にスラスラ〜っと内容が理解できて、ハッ!と自分の成長に気づいたのです。

 

 

 

 

前々から、速読のやり方などはいくつか知っていたのですが、試してみても全然内容が入ってこなかったので私には無理だと諦めていました。

そんな中、春から受けている授業の一つに有名哲学書をどんどん読んでいくという演習があり、1週間で100〜200ページ以上の予習が課せられたのがかなりしんどくて。

 

 

 

 

 

全然予習追いつかないし、プラトンとかアリストテレスとか一読しただけじゃ内容も理解できないしでめちゃくちゃきつかったのですが、そのおかげで、要点読みを意識するようになりました。

1文ずつじっくり考える読み方も大切ですが、予習が追いつかないのでとにかくばーっと読む。すると、ここは例えだな、とか、これは重要なポイントを詳しく説明している部分だというのが見えてきて、テンポよく次のページに進めるようになりました。

 

 

 

 

あと、難しい内容の本に挑戦し続けていると、

内容がわかりやすい本を読むスピードがめちゃ上がります。

え!なにこれ!!というくらい早くなります。笑 

難しい本は挫折しやすいですが、とにかく目を通してみるのもそれはそれで何かしらの訓練にはなってるのだな〜と実感しました。

筋トレならぬ本トレです。ある程度の効果はあります。

 

 

 

 

加えて、読む本に関する前提知識があれば、

大体の結論を意識しながら読めるので、スラスラ読めるのも大きいです。

知識が知識を効率よく呼んでいるのですね。

学問ってこういうことです。大学入って3年目でようやくわかるという…笑

 

 

 

 

とはいえまだまだ積読状態が続いているので、さらなる質の高い読書を目指していきたいと思います。読むぞ〜!

 

「SPA!」のヤれる女子大問題について

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

少し前に話題になった、週間「SPA!」の「ヤれる女子大」ランキングについて、皆さんはどう思ったでしょうか。

初めて知ったときの私の印象は、

あー、また女子擁護説が強くなってしまった…

でした。

 

 

 

 

 

もちろん、彼女たちが言っていることは間違っていないし、編集部も、勝手に大学名だけでそういう対象としてみられるようになってしまうその大学の生徒の気持ちを考慮せずに格付けしたことはあまりよろしくないと思います。

社会学者の宮台先生がおっしゃっていた、女性をモノ扱いした点がよくないということはまさしくそのとおりで、人のモノ扱いは男女関わらず人間として失礼に値します。

 

 

 

 

 

でも正直、私はそうしたフェミニストの強烈な主張に最近うんざりしはじめているのです。

小林よしのりさんという方が、男性視点から今回の件について書いている記事を読んだのですが(興味のある方はネットでぜひ調べてみてください)、女性だって雑誌などで「抱かれたい男」とか言って、男性をモノ扱いしてるじゃないか!となかなか痛烈な批判を展開していました。その記事の全てに同意はできなかったのですが、これが根本的な男女感の違いなのかなとも思いました。

 

 

 

 

確かに、女性が男性に触るのはあまり騒がれませんが、男性が女性に触るとセクハラと言われるといった明らかな格差に意義を唱えたくもなるでしょうが、結構な数の女性が、男性が思っている以上に男性に恐怖を感じているので、そこに平等をもたらすのがなかなか難しいというのが現状かと思われます。

でも小林さんが言うように、フェミニストの主張は男性の意見を聞き入れないくらいの強さがあって、私がフェミニストに疑問を抱くのは、あまりにも盲目な点が多いということです。

 

 

 

 

まず、男性のことを考えられていない。

確かに性犯罪を犯す男性は許されるべきではないけれど、男性は男性なりに大変な思いもしてるのではないですか?

私は性別上、男性の気持ちがわかりませんが、自分の性欲に嫌気がさしている男性も何人か知っていますし、もうそれはDNAレベルの欲求です。それに対して男性は性欲が高くてキモいなどと言えますか?遺伝子レベルですよ?

 

 

 

だから、女性が男性のことを批判する時にはもう少し気を使ったほうがいいと思うのです。

男女は体が違うので完全にわかり合うことはできませんが、性欲の処理の仕方について、もっと倫理観持ってほしいということだけを言えばいいわけで、これだから男は汚らわしい!みたいな結果的に性欲の批判をする主張は行き過ぎだと思います。

 

 

 

 

そして、今回の件で私が一番言いたいことは、

フェミが主張する意見で一番擁護されるのは、いわゆる「ヤリマン」と言われる性行為を色んな男性と楽しんでいる女子たちということです。そういう女性は大学でも結構多いと思われます。さて、フェミはどれくらいヤリマンのことを考慮しているのでしょうかね…

 

 

 

 

こうして女性擁護の風潮が広まると、ヤリマンは自分からグイグイ狙いにいって、もし男性にひどいことをされたら全て男性のせいにできるといった強みをどんどん手に入れていくことになります。女は自分を守るためなら本当に賢く強くなりますから、今回の件でしめしめ…!と思っている女子も少なからずいる気がします。

 

 

 

 

だから、フェミは自分たちの主張で、思った以上に広い範囲に攻撃を与え、守りたいところ以上のものに盾を与えてしまっているところがあるのです。自分たちがひどい被害を受けたことを主張するのはいいですが、そこでヒステリックになって、色んな観点が見失われるのが怖いしうんざりするところです。

みなさんはどうお考えですか?

なぜ指揮者は必要なのか

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

吹奏楽部時代、部員やその周りでよく言われていたこと。それは、「指揮者って必要なの?」ということです。あまり音楽に馴染みのない人がよく疑問に思うことだと思います。

その頃の私は、絶対必要!と思っていたのですが、正直その重要性をうまく言語化できていませんでした。

 

 

 

 

 

でもジャズをはじめてからその理由がとても明確になりました。

ジャズだけでなく、オリジナル曲を作曲したりアレンジして演奏する人(=コピバンではない)もよく分かると思うのですが、自分の中で、音楽の脳内(もしくは体感)イメージと楽器の技術は、リンクする部分はあるとしても、基本的には別物として捉えることができるかと思います。

 

 

 

 

 

こう演奏したい!と思うけど実際演奏するのは難しいとか、逆に複雑なリズムをまず頭で理解できなかったり。あまりやったことのないコンテンポラリーの曲はイメージがわかず全然吹けなかったりなどなど…

ジャズを演奏しだしてから、その両者のバランスを相互的にうまく上げていく必要があるなーというのを感じています。

 

 

 

吹奏楽やオーケストラではその役割が二分されています。つまり、指揮者がイメージを担当し、演者が技術を担当するのです。

指揮者が変わるだけで演奏がガラッと変わるというのは、そのイメージ力の違いなのだと思います。

有名な先生が指揮台に立ったときは、実際に違いを感じましたし、演奏が格段に良くなるのが目に見えてわかったという経験もしました。

言ってみれば、構想を考える人と、実際イラストを描く人が違う漫画のようなものですね。

 

 

 

だから、ジャズ研でよく見られる、吹奏楽上がりでジャズ研入ってみたけど挫折してしまう人が出てくるわけです。

イメージは指揮者が担当していましたから、技術はあっても何をどう吹けばいいかがわからない。イメージする訓練を楽しい!と思えればいいのですが、イメージできないことで、自分にはセンスがないと思い込んでしまう現象が本当によくおこります。しかし、センスがないとかではなく、訓練が足りていないだけなのです。

そりゃ、全部指揮者と楽譜に任せてきたんだからイメージ力は培われてないよ…という笑

 

 

 

 

オーケストラなどのプロの演奏家が優れた点は、伝えられたイメージをすぐに飲み込んで、ぱっと楽器で演奏できるというところ。そういう技術的な点が特化しているのです。

 

 

 

 

それよりも自分のイマジネーションを爆発させたい!という人は、作曲したり、インプロをしたりという流れに乗っていくのでしょう。

もちろんイメージも技術も最高な人は素晴らしいミュージシャンだと思います!

 

 

 

話しが逸れてしまいましたが、とりあえずうまく言語化できたという清々しさをブログに乗せてみました。また違う意見も聞けたらうれしいなぁ〜

 

 

タピオカはファッション

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

ある時から、梅田などの街を歩いていると、片手にドリンクを持って歩いている若い人が多く見られるようになりました。

そして、その多くが赤いストローが目印の「タピオカドリンク」。

どうやらタピオカが今流行ってるようですね。

 

 

 

 

 

私が最後に飲んだのは半年前くらいでしょうか…もう覚えてすらいないのですが、タピオカってもともとあったのに、なぜ今になって流行っているのかなぁ〜というのが不思議でした。

はじめのブームは1990年代の初頭、もともと台湾発祥のデザート(?)らしいです。

今では台湾に旅行に行く人が増えたので、台湾熱からまたタピオカブームがきてるのだとか。

 

 

 

 

 

確かにタピオカ美味しいですよね。

でもなぜ、わざわざテイクアウトして歩きながら飲むのでしょうか。

タピオカ持ちながら本屋に来店される方もいて、万が一液体がこぼれたときに本がだめになってしまうので、これは本を売る身としては避けていただきたいのですが…

 

 

 

 

そこで私は、タピオカはもうファッションの一部になっているのだという結論を導き出しました。

言ってしまえば、飲めるアクセサリーです。

 

 

 

 

いや、タピオカがファッションてw

と思われる方もいると思いますが、タピオカを持って街なかを歩くというのが、流行りの基本ステータスになっている気がするのです。

本当にタピオカ味わいたいなら、お店で座ってゆっくり飲んだらいいことですし、片手にドリンク持ちながら買い物とかって結構不便では?

なのにわざわざ持ち歩く、というのは、「持ち歩くこと」にこそ重要性があるのではないでしょうか。

 

 

 

みんなそこまでは考えずにタピオカを持ち歩いてるかもしれませんが、おそらく6割ほどが「ファッションタピオカ」でしょう(これはあくまで推測です)。

 

実際タピオカ持ってる人に調査してみたいなぁ〜(キラキラ女子怖いけど…)

 

 

 

2018振り返り

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

もう2019年になろうとしていますね〜

光陰矢の如し。

 

 

 

 

 

皆さんはどんな1年を過ごしましたか。

私はとにかくいろんなことの変化が多かった年だなと振り返ります。

 

 

 

 

 

春から本屋で働き始めて、よく本を読むようになってから勉強に対する劇的に意識が変わりましたし、なりたい自分に一歩近づくことができたように思います。これは本当に私の中でおおきな一歩でした。

 

 

 

また、大きな地震が起こったり、巨大な台風がきたり、変なおっさんに絡まれたり、いろいろ災難がありましたが、それ以降、色々な耐性もつきましたし、精神的にもかなり強くなったのではないかな?

 

 

 

音楽に関しても、なんとかしんどかった時期を抜けたというか、昨年よりも楽しく音楽している気がします。おそらく自分にできることが少しずつですが増えてきて、演奏するのがさらに楽しくなってきた。練習しなくちゃという義務的な考え方から、練習したいなという能動的な考えに変わってきています。

今振り返ってみれば、この心境に至るまでは自分の中でいろんな葛藤があったなー...

しんどい時期を乗り越えられて本当に良かったと思うので、また来年以降どんな音楽ができるのか自分としてはすごく楽しみです。

 

 

 

 

 

さて、2019年はどんな年になるのやら。

私の意識目標は、「やりたいことをとことんやる」です。

ありがたいことに、私の周りには「若いうちにやりたいことをやっておいたほうがいい」といってくれる人生の先輩方がたくさんいます。それも、社会に出たら面白くなくなるから、今のうちに遊んどけ!という理由ではなく、若いうちにやってきたことが、今後の自分の人生で活かされるよと言ってくれる人ばかり。

そう言ってくれる人は、それぞれクリエイティブな仕事だったり、好きなことを仕事にできている人なので、本当に説得力を感じます。

自分も、そうやって悩める若者にアドバイスができる大人になりたいなーと思ったり。

失敗する前に失敗を恐れない1年にしたいですね。強く生きるぞ〜!