燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

とげとげ

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

よく晴れた日に庭掃除をしていた時のこと。足元に少し長めの木の枝が落ちていました。このままの長さではゴミ袋に入れられないと思い、枝を折ろうとした時、手にちくっと痛みが走りました。よく見てみると、枝にはたくさんのトゲが付いていました。

 

 

 

 

手にとげが刺さった時は、うわ...枝に攻撃された...と思いましたが、確か植物についているトゲは動物などから身を守るためだったはず。

トゲって攻撃するためにあるんじゃなくて、自分の身を守るためにあるんだと気づきました。

 

 

 

 

 

このことは人間でも同じことが言える気がします。

私自身、思ったことなら相手のことを考慮せずにはっきり言ってしまったり、あまり印象が良くない人に対しては自分から壁を思いっきり作ってしまったりという協調性に欠ける性格が根本にあるので、周りから刺々しいと言われたこともありますし、自分で自分をトゲトゲした人間だと思い、反省するところも多々あります。

 

 

 

 

 

 

でも、刺々しいことをするというのも一種の自己防衛なんだとわかったら、自分が想像している以上に自分自身が臆病というか、ビビリというか。そういうことがだんだんと見えてきました。

 

 

 

 

 

気分や体調があまり優れなかったりすると、すぐトゲトゲになってしまうので、以前はそうなる自分に嫌気がさしていました。しかし、自己防衛だと知り、自分がトゲトゲになってしまう根本的な理由を追求することができるようになり、自分は今何に不安を覚えているのだろうと考えるようになりました。すると少し気持ちが落ち着いて、トゲトゲが丸くなっていくことがあります。

 

 

 

 

 

なので、もし周りにトゲトゲの人がいたら、攻撃してくるから嫌だと思うのではなく、この人は何にそんなに不安を持って、自分をガードしているのだろうと考えたら、ちょっとだけ救われる気がします。

 

 

エネルギーの受け渡し

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

ジャズに関わり始めてから、たくさんの素晴らしいライブに行かせてもらったり、ジャズについてのことを色々と教えてもらったりしていて、本当に自分はいい機会に恵まれていると思います。まだまだできないこと、知らないことだらけですが、こうした機会を与えてもらっている以上、何か自分にできることでしっかりと返して行かなければならないと強く意識するようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

素晴らしいプレイヤーも、その先人からもらったエネルギーを自身の中で吸収し、活力に変えて、自分なりの表現方法で新たなエネルギーを発していくというプロセスを辿っているはず。与えてもらっているだけではなく、自分も自分なりの形で次にエネルギーを渡していくという流れが、音楽をはじめとする芸術を発展させていった根本だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

私自身、どうやって与えてもらったものを返していくかはまだ明確に定まってはいませんが、このもらったエネルギーをまた他の人たちに渡さなければならないし、渡したいと思いました。今まで、自分なんかがエネルギーを発信できるわけがないと思い込んでいましたが、それではこれまでの出来事に感謝の意を真に表明することはできません。できないではなく、やるんだという気持ちを強く持って自分の表現方法を磨いていこうと思います。

ジャズの”Yeah!”

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

ジャズのライブやセッションなどに行くと、よく”Yeah!”という声が飛び交っています。

これは、今のソロ最高だった!とか、息ぴったりのアンサンブルが素晴らしい!など、

とにかくナイスだと思った瞬間に叫ぶことが多いようです。

 

 

 

 

 

 

私自身、演奏中に歓声をあげるということ自体ジャズに出会うまでは経験したことなかったので、初めはこの文化に戸惑いましたが、今ではついつい気分が高まると声をあげてしまいます。

この”Yeah!”文化(勝手に命名)、素晴らしいなーと個人的には思っていて、声をあげることで、観客と演奏者が同じくらい音楽に興奮することができると思うんです。

 

 

 

 

 

 

 

いいと思った瞬間に、いい!と表現できることってとても気分が清々しくなりますし、今まで溜まっていたストレスなんかも吹っ飛んで、スッキリします。演奏者も、観客が自分のプレイで盛り上がっているとわかるとどんどん気分が高まって、さらに熱い演奏を繰り広げてくれます。そういった相互作用で、お互いがお互いを高め合い、同じ空間を同じテンションで共有できることって本当に素敵なことだと思いませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、ただ一つ困る点があります。電車の中でイヤホンつけて音楽聴いているとき、かっこいい演奏に遭遇すると、思わず”Yeah!!”と叫びそうになってしまうんです(私だけですかね...)。ジャズをよく聴く人にとっては”Yeah!”も聞き慣れたものですが、そうでない人はおそらくびっくりしてしまうので、叫ぶときは場所に注意です。今日もクリフォード・ブラウンの”What is this thing called love”を聴いていて、かっこよすぎて危なかったので、本当に気をつけなければ...と反省中です。

 

感情のぶつけ方

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

台風が近づいてきましたね。今回こそは直撃するのでしょうか。皆さんお気を付けください〜

 

 

 

 

 

 

さてさて。私は今、長期休みを堪能しているわけなのですが、休みの間に色々な人に会いました。色々な人の話を聞いた上で、最近考えていることがあります。それは感情のぶつけ方についてです。

 

 

 

 

 

私自身、これまでかなり温厚な人生を歩んできたせいか、怒りの感情というものがあまり湧きません。最近は大好きな岡本太郎の本を読み、怒りを自分のエネルギーにするという考え方を知って、意図的に気持ちを奮い立たせようとしたりしていますが、基本的には湧いてきません。

 

 

 

 

 

 

 

怒っているときに物に当たったり、怒鳴ったりして感情を外に発散させるのはよくある方法ですが、私の場合はそういった感情はどうやら自分の内に溜め込んでしまうようです。嫌だと思うことがあっても、「結局は自分の捉え方次第なのかもしれない。ここで相手に怒っても仕方がない。」と、自分の感情を胸の奥にズルズルと引きずり込んでいることが多いです。人間関係の争いごとが本当に苦手で、なるべく争いが起きないようにしてきた結果がこの溜め込む癖を生んだのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

でも溜め込む器のキャパがそこまで大きくなく、器を溢れると自暴自棄になってしまうのはどうにかしなければならない点です。感情の矛先を自分に向けてしまい、どんどん自分で自分の首をしめてしまって、最終的に病んでしまうことがこれまでにも何回かありました。誰かにぶつけるよりは、自分が犠牲になった方がいいという考え方からこのようになったんだと思うのですが、極端な自虐もおおよそ周囲の人に迷惑がかかることに気づいたので、これは本当に改善しなければならないと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

そこで発散の仕方などをぼんやりと考えていたのですが、多くの人がする愚痴って発散だったり、物にぶつけて発散はやはり自分にはピンときません。その方法は発散しているときにはいいかもしれませんが、あとあと冷静になると自分で自分が恥ずかしくなって、余計に自分にストレスが溜まってしまった記憶があります。そうなると、岡本太郎のように表現活動を通して感情を昇華するのがいいのかどうなのか...果たして自分はその方法で発散できるのか...真剣に模索中です。極論はイライラしないようにする工夫をするのが一番なのですが、完全にストレスフリーな状況は自分自身だけではどうにもできないので。難しいところです。

 

 

 

 

 

 

なかなかに長文、そして重めの話になってしまいましたが、こうして自分のことがわかるのは、紛れもなくいろんな人と関わりを持てているからです。人の振りを見ると我が振りってよくわかる。友人や仲間には本当に感謝感謝です。

 

 

 

 

 

 

そういえば、ブログアクセス回数3000回突破しました!いつも読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

好きなトランペッター#5

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

久々の好きなトランペッターの回。

今日はアート・ファーマーについて語ります。

 

 

 

 

 

口ひげがチャームポイントのアート・ファーマーの魅力はなんと言ってもその哀愁漂うプレイです。それも、ゴリゴリしたねちこい哀愁とは違い、浮遊感の中に物悲しさが見え隠れする感じ。切なさを誘う哀愁です。アート・ファーマーといい、トム・ハレルといい私はこの手の音色がどうも大好物なようです。

 

 

 

 

 

 

とても明るい曲でも、アート・ファーマーのソロが始まると、きゅーっと胸が締め付けられるような雰囲気に包み込まれます。どんな曲であれ、自分の世界を作り出せるって本当にすごいです。

 

 

 

 

 

とくにフリューゲルホルンを吹いているときは最高です。ブラウンの技巧派も好きですが、雰囲気の名手であるアート・ファーマーも本当に素晴らしいです。

彼はこの間レビューに書いた"Cool Struttin'"でも大活躍していますが、個人的にオススメのアルバムは"Modern Art"です。

ぜひ聴いてみてください!

運動会の思い出

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

もうすっかり涼しくなって秋になってきましたね。ふと、秋といえば何を思い出すか考えてみたら、運動会がパッと思いつきました。不思議なことに、私は全く体育会系ではないのに一番記憶に残っている秋のイベントです。今日はその運動会の思い出についてゆるゆる綴りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

今はもう運動会といえば5月くらいにやることも多くなり、秋のイベントではなくなってきているのかもしれませんが、私が小学校の頃は秋真っ只中に行われていました。

実は私の誕生日も秋で、運動会と誕生日が同じ日になることが何回もあって...

小さい頃は「せっかく誕生日なのに走らなければいけないし、友達も運動会のことで頭いっぱいであんまり祝ってくれない。ついてないなぁ」と思ってばかりでした。

 

 

 

 

 

 

 

今となっては年齢を重ねることに当時ほど喜びを感じないので、いろんな人に自分の誕生日を祝ってもらいたい願望が薄れてきています(もちろん、祝ってもらったらとても嬉しいです)が、小さい頃は誕生日が一大イベントですから、当然前日の夜からワクワクしているわけです。しかし、運動会と重なってしまうと色々抱いた期待も見事に打ち砕かれ、必死に走ってぐったりと疲れたまま帰宅。運動会は、かなり「頑張った誕生日」という印象が強く残っています。

 

 

 

 

 

 

なので、学校で運動会の日にちが知らされるときは毎回、どうか誕生日とかぶりませんようにと祈っていました。後々、クリスマスやお正月と誕生日が被っている人の話を聞いたりして、お祝い事イベントと誕生日パーティーの合体を知り、まだ自分はましな方だったんだと気付いたのですが。

 

 

 

 

 

 

もう運動会とも縁が切れた年齢になったのですが、近所の小学生が組み立て体操の練習をしているのを目にするたびに思い出します。みなさんは運動会にどんな思い出がありますか?

廃盤の誘惑

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

中古CDショップでよく悩まされる現象、それが「廃盤の誘惑」です。

たくさん出回っているCDは、またいつか手にいれることができるだろうと思い、安心して棚に戻してしまうのですが、説明欄に廃盤と書かれているとなかなか棚に戻すことができません。

 

 

 

 

 

もう生産されていないから出会う確率も比較的低くなり、その分レアリティが増します。

また、インターネット上でなんでも聴けると勝手に思い込んでしまっているのか、ネットでは聴けない音源となると貴重度が一気に高まり、さらに欲しくなってしまいます。

 

 

 

 

 

そんな欲がぐるぐると頭のなかを回転し、お財布の中のことを考えずにレジに向かってしまうことがだんだんと増えてきました。

この誘惑は危ないと思いながらも、まんまと誘いに乗ってしまうどうしようもない自分が最近怖く感じられます…