燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

自由とは

 

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

最近大学の講義で、自由について勉強しています。

みなさんは自由という言葉について、どういうイメージを持つでしょうか。

 

 

 

 

 

我々はどういった状態を自由と感じるのか、そもそも自由とは何なのか、自由は存在するのか...とこれは掘り下げていったら大変難しい問題なんです。

自由についても考えるトピックがたくさんある中、私は「他行為可能性」について学んでいます。

 

 

 

 

 

 

「他行為可能性」というのは、簡単に言えば、行動の選択肢があるかどうか、ということです。例えばフードコートに行ってたくさんのお店が並んでいる状態。お店がたくさんあればあるほど、「他行為可能性」が多くなります。

 

 

 

 

 

 

 

自由を定義する際に、この「他行為可能性」がなければ自由ではないとする立場、すなわち、複数の選択肢から自分の好きなものを選べることが自由とする立場があります。逆に言えば、選択肢がない=自由ではないという考え方であるとも言えます。

 

 

 

 

 

 

 

しかし一方で、たとえ選択肢が一つに限られていたとしても、自分の意志に沿って行動できていればそれを自由と呼んでも良いとする立場もあります。どういうことかというと、フードコートの例で言えば、仮にうどんが食べたいと思っていて、フードコートに行ってみるとうどん屋しかやってなかった。この場合、うどん屋以外の店はすべて閉まっているので、いろんな食べ物の選択肢は排除されています。けれど元からうどんを食べたいと思っていたのだから、何の不自由さを感じることもありませんよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

こうしたように、自由は自分の意思通りに動くことができれば、他行為可能性を必要としないという考えもあります(私は今の所、後者の意見に賛同しています)。

いい概念として私たちに定着している自由という言葉は、実はとても奥が深いんですね〜

 

 

 

 

 

 

 

 

また、そもそも自由はなく、私たちの行動は全て元から決められているとする「決定論」という考え方もあります。その論だと、今自分がこうしてブログを書いていることもすでに何者か(多くは神)にプログラミングされた行動であり、私はただただそれに従って動いているだけだと主張します。

そんな話は信じられない!と思う方も多いと思うのですが、これを完全に否定する根拠を明らかにすることはかなり難しいんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ今勉強中なので、これから意見が変わっていく可能性も十分に考えられますが、とりあえず現段階で思っていることは、

自分の意思に従って行動できれば、他行為可能性がなくとも自由ということです。

これに対してもたくさん反論が生じていると思うので、さらに詳しく勉強を進めていきたいです。

帰り道にて

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

出先から最寄り駅に着いた18:00頃。薄暗くなってきた空を眺めながらぼんやり家まで歩いていると、どこからかおいしそうなにおいがふわ~っとやってくる。

 

 

 

 

 

あ、ここのお家、今日はカレーかな。

ん?この香ばしいにおいは…きっと焼き魚だ。

 

 

 

私の家の晩御飯はなんだろう…?

あぁ~、お腹すいたなぁ!

 

 

 

 

 

…こういうことを考えられるって、とても幸せ。誰かが自分のためにご飯を用意してくれているということ、帰る場所があるということは本当にありがたいです。

 

 

 

 

家族の帰りを待つ優しい晩御飯のにおいが、季節とともに肌寒くなってきた心をほっこり温めてくれました。

何気ないけどじんわりくる、今日はそんなお話。

 

OKABE FAMILY @Mister Kelly's ライブレポート#12

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

今日はオランダのジャズシーンで活躍を見せる岡部源蔵さんのアルトサックスを聴きにミスター・ケリーズへ。

 

 

 

 

 

 

 

今年の四月に新しいアルバムをリリースされていることは知っていたのですが、未だ手を出せずにいました。出身国が異なる4人のカルテットからはどんなサウンドがするのか、予習も不十分なままでしたが、貴重なライブを楽しむことができました。

 

 

 

 

 

 

 

時間の関係で1stだけしか聴けなかったのですが、とにかく今までに聴いたことのない融合がとても印象的。複雑かつ力強く絡み合うリズムを自在に操っていたフランチェスコ・デ・ルベイスのドラムからはファンキーな音が飛んでくる中、アルトサックスがクラシックの美しさ、ブルージーなかっこよさをそこにぶつけていく衝撃がすごい。

 

 

 

 

 

 

 

いろんなジャンルを融合している音楽はかなり多くの人が手をつけていますが、このカルテットのすごいところはその融合が何の違和感もなく自然に行われているというところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はファンクも好きでよく聴くのですが、正直なところ、長時間は聴いていられません。ファンクのサックスは特に、エネルギッシュでかっこいいけれどすぐお腹いっぱいになってしまうことが多いんです。

でもこのカルテットは違いました。岡部さんの演奏を聴くと、ファンキーな音をバンバン吹いているにもかかわらず、全然胃もたれしないというか、ずっと聴いていられる気がしてきます。高音で叫んでいるのにどこか上品なサウンドに聴こえて、それがかなり衝撃的でした。

メンバーそれぞれソロでは暴れているのに、みんな品がある。それがこのバンドの色なのかもしれないと勝手に思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

音の大きいドラムは今まで何回も聴いてきていますが、ここまで聴こえ方と感じ方が違うと、やっぱり最後にサウンドを左右するのはその人の人間性なのではないか?と改めて思ったり。どれだけ技術をつけても、人によって滲み出てくるものが全然違って面白いですし、こういったことを肌で体感できるライブはやっぱり大切だと実感しました。

レコードとCD

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

昨日書こうとしていることは決まっていたのに、まさかの更新するのを忘れてしまいました…自分でも忘れていたことに驚きで、朝から軽くショックを受けました。

 

 

 

 

さて。最近はレコードがアツいですよね。CDのリリースと同時にレコードも出すレーベルが増えつつあります。

 

 

 

 

私は家にレコードプレイヤーがないのでレコードの普段聴きはできないのですが、先日レコードをじっくり聴かせてもらえる機会がありまして、アナログ盤の素晴らしさを堪能させてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

そこで、同じアルバムのCDとレコードの聴き比べもさせてもらったのですが、全然違って聴こえて、ここまで違うとは!とかなりびっくりしました。プレイヤーの違いも多少はありますが、音の立体感などが明確に違うんです。

 

 

 

 

 

 

全く同じライブの演奏でも、こんなに聴こえてくる音が違うのかと思うと、将来、毎日良い音響で音楽を聴けるような生活にしたいなぁととても夢が膨らみました。

 

 

 

 

 

今はストリーミングが主流になりつつあって、中には音質は全然気にしないという人もいますが、やっぱり音質って大切。

安くて硬いパンより、いい値段だけどふんわりやわらかくておいしいパンを選ぶ余裕がほしいです。

もちろん時と場合によって適切な方を選ぶのがベストですが、コスパばかりを意識して質の高いものを避けてしまうのはなんだかもったいない気がします。

 

 

 

 

 

 

学生の身分で、今はあまり贅沢できませんが、とりあえずレコードプレイヤーを買うことから始めてみたいと思います!

恋愛話

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

人の恋愛話を聞くのが好きです。恋愛自体が好きというよりかは、恋愛を通して見えてくるその人の人間性に興味があります。

 

 

 

 

 

 

今は若者の2人に1人は恋人がいないという世の中になってきていますが、やはり恋愛は人をいろんな意味で大きく動かす、極めて重要なものだと思います。

 

 

 

 

 

 

学校や職場では想像もつかないような一面を恋愛で発揮している人もいれば、あまり普段と変わらない人など、いろんなタイプの人がいますよね。いつもはいい人だけど、恋愛に対しては急にだらしなくなる人(遊びが好きな人など)に対しては私はかなり幻滅してしまいます。それほど、その人の恋愛観は自身の人間性を大きく左右していると思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

恋人とはどういった関係でありたいか、どんな人がタイプかなどを知ることは、その本人自体を知ることに深くつながっているように感じます。また、結婚して夫婦関係になっている人などについて(勝手に)お互いのバランスについて考えたりすることも楽しいです。夫婦ごとに均整がとれているポイントも少しずつ違っていて面白いし、夫婦という小規模だけどかなりの重量がある一つの人間関係を分析することは、大変奥が深くかつ永遠に考え続けるべき課題でもあると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が恋話を聞くときはただそのラブラブしたシュチュエーションの話を聞いて盛り上がるだけには止まりません。聞いた話から、その人間像をを自分なりに細かく分析して、(タイミングが良ければ)うまーくその分析結果を本人に聞くことは、人間について考える一つのトレーニングになるのでオススメです〜

「大丈夫?」という言葉

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

普段何気なく使っている「大丈夫?」という言葉。いろんな場面で多様な使われ方をしていますが、多くは相手のことを心配した時に使いますよね。この一声をかけてもらうだけでだいぶ気が楽になることもたくさんあると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、よく考えて見たらこの言葉には一種の強制力があるのではないかと思ったのです。「大丈夫?」と聞かれた時、多くの場合は「大丈夫」と返します。

本当は大丈夫じゃなくても、相手に心配かけないように、大丈夫と返事をしてしまったことはないでしょうか?これは私個人の感覚かもしれませんが、「大丈夫?」の返事は

「大丈夫」という刷り込みがどこかにあるように思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

このことに気がついたのは、ある中学校で起こったいじめによって、一人の生徒が自ら命を絶ってしまった事件に関する事例を読んでいた時のこと。

その自殺をしてしまった生徒は、いじめを受けつつも、先生などには相談もしていなかったと言います。いじめの事情を知っていた友人も彼を気遣っていましたが、あまり頼るそぶりを見せなかったようです。その彼の周囲の気遣いがまさに「大丈夫?」という言葉でした。彼は「大丈夫」と答えたようですが、実際には全く大丈夫ではありませんでした。

 

 

 

 

 

 

この質問に対して、「いや、全然大丈夫じゃない」と真剣に答えることはなかなか勇気のいることのように思います。質問者が半ば「大丈夫」という答えを期待しているのがわかってしまうからです。

 

 

 

 

 

 

ここで、私はこの気遣いの仕方に関して否定的ということではありません。私自身もよくこの言葉を使いますし、相手を真剣に心配して使う時だってもちろんあります。

ただ、私が主張したいのは、何気なく使っているこの言葉の使いどきって結構重要なのではないかということです。

今回のいじめの例を取り上げると、大丈夫かそうではないかを問う前に、相手が本当に大丈夫であるかどうかというこちら側の推測を立てた上で、まず何があったのかを聞くことが最優先だったのではないでしょうか。

相手に、大丈夫と答えるだけでは終わらせないようにして、相手が周囲の人に頼りやすくなるような工夫を凝らした質問をなげかけることも、もしかしたらできたのではないかと私は考えました。

 

 

 

 

 

 

実際の現場にいたわけではないので、あまりはっきりとしたことは言えないのですが、相手を気遣うことと、本当に相手のためになっているかということは完全に一致しているかどうかはわからないということを改めて考えさせられました。

 

捨てること

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

前々からブログでも書いているように、部屋の片付けが好きです。そもそも、ものを捨てることに一種の快感を覚えているくらい「捨てる」ことが好きなんです。ものがなくなっていく感じが気分をスッキリさせてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

生まれながらにして捨てるのが好きだったと言うのではもちろんありません。ある時、ものを捨てるために捨てるのではなく、新しいものを取り入れるために捨てるという話を聞いてから、ものを捨てることについての考え方が根本的に変わりました。

 

 

 

 

 

 

 

逆に、新しいものを取り入れるためには、何かを捨てなくてはならないということです。常に何かから良い刺激を受けるためには、なんでも自分にとって新鮮なものを取り入れていくことが大切だと私は考えているので、その考え方を知ってから、捨てることに関してあまり抵抗がなくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

この服今は着ていないけど、もしかしたらこれから着るかもしれない...と思ってタンスの奥にしまってある服などは潔く捨てます。今着ないんだったら今後も多分着ないでしょうし、実際思い切って捨てて、その後に後悔した経験は一度もありません。大切な人にもらったものなどはもちろん大事にとっておきますが、自分が買ったものに関しては、仮に捨ててしまったものを取り戻したくても、また自分で頑張ってお金を稼いで買えばいいのです。

 

 

 

 

 

 

ものが詰まり、流れが悪い川に綺麗な水は流れません。常に自分の周りをスッキリさせておくことが、新鮮な風を感じることができる第一歩なのです。