燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

キャラクター

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

その人が持つキャラクターってすごく重要だと思います。

その人だからその行為が許されたり、評価されたり、逆にすごい嫌がられたり。

 

 

 

 

バイト先に、恰幅がよく、すごく明るくて優しい方がいるのですが、その方はとてもサービス精神が旺盛です。

レジでもお客さんとちょっとしたお話をしたり、対象書籍を買っていないお客さんにもこっそり特典の栞をわたしたりしていて、そういう行動は店側から見たら少しアウトローな目で見られるのかもしれません。

でもその方がやるから許されているんですよね。 

 

 

 

 

 

私はその方をすごく尊敬しています。 

普通ではできないことを難なくこなすのはまさにその方のキャラクターと、どうやって生きてきたかがなせる技です。

もちろん、私のキャラクターだからできることもたくさんあると思うので、私はそれを活かしていこうと思うのですが、自分で自分のキャラクターを掴むのってなかなか難しいんですよね…。 

 

 

 

 

自己評価と他者評価が違うときもありますし、キャラクターは印象と言い換えることもできるからです。自分の印象は自分では受け取りにくいものです。

年が若いとか、性別とか、一般的に当てはまるキャラクターから推測して自分がどこまで行動できるかを見極めることはよくありますが、雰囲気までは自分ではわからない…

 

 

 

 

でも自分のキャラクターをちゃんとわかっている人は、その人にしかできないことをしますし、行動に説得力があるようにも感じます。

自分の内面は自己分析しているものの、まだ表面的な印象についてはあまり自分のことをわかっていないので、関心持って知っていきたいと思います。

 

セッションで思うこと

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

今日は少し年代が上の方々とセッションさせていただき、色々勉強になりました。

こうやって色々なところでセッションに参加すると、発見がいっぱい。

自分にとってセッションで一番大切なものは何かが見えてきます。

 

 

 

 

 

最近特に意識するのが、「音楽の共有」です。

個人練習とセッションの違いはその「共有」なわけで、表面的にはみんなで合わせているつもりでもその場の音楽を共有できてなかったら全くいいものにはならないと思います。

みんなと合わせるというのは単にタイム感とかピッチとかだけではなくて、曲の感じだったり、流れだったり、言葉にするのはなかなか難しいですが...

 

 

 

 

 

私も最初の頃はセッションに入るのも緊張して(今でもしますが)、曲中も自分の吹くソロの予習に必死。周りの人のソロを聞く余裕なんて全然ありませんでした。今となってはひどいことをしていたと反省しています。他の人がソロしているところで自分は別の音楽を感じているわけですから、共有も何もなかったんです。とにかく自分の吹くところだけに意識がいって、全体的な見方が備わっていなかった。

でもせっかく一緒に音楽やっているのだから、バッキングのバランスとか、ユニゾンで一緒に吹く相手が持つテーマのイメージとか、そういうことにもっと耳を傾けようと思えるようになりました。

 

 

 

 

 

セッションではやはり全体としての聞こえがとても大切だと思います。

曲中に「このハモリ入れたい!」と思いついたとして、いきなり入れるのではなく、ソロしている人の流れにあっているかをまず考える。コンピングなども、上手な人はその流れを汲み取ってすぐ対応できます。

楽器の音量バランスにしても然りです。私はバッキングの時にうるさすぎるドラムが耐えられない(トニーはもうキャラクターとして確立しているのでそれはそれでよし)のですが、個人がやりたいような音量でやっていてはまとまりもないわけです。

 

 

 

 

 

こうした全体の流れを汲み取ることについて、わかっていても技術的な問題で表現できないのと、そもそも聴いていても共有はしていないパターンとありますね。あえて共有したくないという意思があるのならばそれはそれですが、自分が主役でないときも完全に自分の世界に入ってしまっている人は個人練習しておけばいいではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

まあ私は学生の中でもかなり共有を意識するタイプだと思うので、ドラマー不在の中、ドラムレスのトリオでセッションが始まっていたところで、途中からドラマーが何処かから帰ってきて急に音楽に入ってくるとかが許せないくらいの心の狭さです...

「いや、今は3人で3人の空間作ってたんだからわざわざ入らなくていいでしょ」という風に...笑

多くの人はそこまで考えていないのかもしれないけれど、やはりそういう音楽の空気感とかわかる人はたくさん音源を聴いて、ライブを聴きに行っている人のような気がします。楽器の技術的な練習と、音楽を理解すること。バランスよくやっていきたいです。

 

BL研究

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

最近とても気になっているのが「BL」です。

私自身は腐ってはいないのですが、今ノリ乗っているBLから世の女性像が見えてきそうで興味津々なんです。

ここからはそのBLについて書いていきますので、そもそも苦手だという方は無理して読み進めないでくださいね。

 

 

 

 

 

 

書店でレジをしていて驚くのが、そのBL漫画の売れ行きです。本当によく売れます。

今日も私個人だけで10冊以上レジに通していると思います。

書店側からしたら本当にありがたや、腐女子様の尽力に感謝感謝なのですが、なんでこんなに人気なんだろうと疑問に思うわけです。数年前までは本当にみるからにオタクっぽい女子に人気だったBLも、今や女子高生や綺麗なお姉さん、年齢が少し上のお姉さんまで幅広い層がBLを読んでいるんです。

 

 

 

 

 

BLの中でもいろんなジャンルがありまして、淡い恋愛ものからゴリゴリの18禁まで(こう言いつつ私は実際に漫画をちゃんと読んだことがないのですが...)。

聞いた話によると、男性でもはまる人がいるほど、ストーリーがしっかり練られたものが多いのだそう。ただ男女が結びつく恋愛漫画とは状況が違うわけですから、より心理描写などが魅力的なものになるのかもしれないですね。それはハマるのも納得です。

 

 

 

 

 

まあ私が今回言及したいのはそっちではなく、もうみるからに「エロ漫画」でも堂々と購入する女性たちについてです。

今日レジで通した、コンドームのイラストが水玉模様のように散りばめられたなんともポップな柄を背景に、上半身裸の男子が絡み合うという表紙はなんとも印象的でした。

あと、まあ大体のエロBL漫画の表紙にいる男は上半身脱いでいるんですけど、すごいのだとパンツに手突っ込んでたりですね...(表紙なのに)

もうなんかすごいわけですよ。

 

 

 

 

 

帯とかにも、まあなんともここでは書けないようなことが色々書いてあるわけです。

レジ通す時には何度もその商品を手にするので、自然と帯の文字とかも目に入ってきます。ましてやブックカバーをかけたり、特典のペーパーを挟み込んだりする時にはページを開くこともあって、もろ行為中の描写などが見えてしまう。

なんかここまでくると、下ネタがあまり好きではない女性が多いというのはなんだか意味合いが変わってくると思います。女性も「性的」なことへの関心はすごく高いんじゃないか、ということです。

 

 

 

 

 

ただ、女性にとって性交渉というもの男性よりも時に辛いものだったり、身ごもることになるという責任が尋常じゃないわけです。そんなに簡単に捉えられるものではないんですよ。これは私の推測ですが、男性が集まってそういった話をしているのを嫌がる女子がいるのは、そうした捉え方の重さがあまりにも違って思えるからなのではないかなと思います。

 

 

 

 

そうした中でBLが人気なのは、「自分が一切入り込めない」世界観がそこにあるからなのだそう。女性が不安を一切感じずに性的描写を楽しむことができるというところが、人気の秘密なのではないかと私は勝手に考えていて、つまりBLが流行りだすことで、純粋にセクシャルな作品を楽しめる女性が増えたのかなと感じます。

 

 

 

 

 

 

これってある意味「性に対する関心」の革新的な変化ではないでしょうか。

また、同性愛などに美しさを感じる心理を美学的観点からとらえられないかな〜と今模索中です。そこには絶対に何かがあるはず。

ここまで書きましたが、もちろん、BLが好きでない女性も多くいるでしょうし、性的なことに関してもっと別の考え方をお持ちの人もたくさんいると思います。あくまで私が思ったことにすぎませんので、またご意見、ご感想などありましたらよろしくお願いいいたします。

 

 

荒んでおります

 

 

 

気がつけば7月中旬になってました。

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

最近全然ブログ書いてなくて反省中です。

将来のことを悶々と考えていると心が荒んできてしまいまして、ずっとうだうだしていました。

 

 

 

 

自分に向いてることはなんだろうとか、自分にできることはなんだろうとか、こうなりたいとかいうのがこれまでにないくらい錯綜しています。こういうことをやりたいという漠然としたイメージはあるのですが、具体的にどうすればいいかがわからなくなってしまって。

 

 

 

 

 

突然自分に自信がなくなります。

これをやりきるだけの能力や才能は自分には無いって思い始めます。なんの根拠もないのにですよ…

推論はあくまで推論で、やってみなければわからないと頭の中では理解しているのですが、気持ちがどうも後ろ気味。

 

 

 

 

 

 

やはり心の中で才能がある人や、天才を羨ましいと思っているんですよね。結果を出した人がどれくらい努力してるかも知らないくせに、「すごいなぁ、いいなぁ」と感じてしまう。

 

 

 

 

 

努力せず結果ばかり見て、ああ、自分はだめだと凹むほどアホな話はないですが、そうわかっていても努力がうまく進んでいない状況。

自分って結局楽して結果を得たいと思ってる怠惰な人間だ…とまた負のサイクルに…笑

 

   

 

 

最近はこんなことの繰り返しです。

はやくこの負の連鎖から抜け出さねば!

明日からはもっと楽しい記事書きます!!笑

ジャズとアート

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

先日訪れた阪急百貨店の「アートinジャズ」。

ジャズからインスピレーションを受けたアーティスト達の作品が並んでいて、とても面白かったです。音楽が美術に影響を与えたり、逆もまた然り。ミュージシャンで絵を描くマイルスのような人も多いですし、両者は切っても切れぬ関係に思われます。

 

 

 

 

 

 

この展示を見てて感じたのは、ジャズの色彩イメージがやはり多くが「渋い色」で表されているということ。

黒、茶色、グレー、ワインレッド…

この類の色使いが多かったように思います。

シックなイメージというか、少しさびれたような画風のものもありました。

 

 

 

 

 

 

これは世間一般の方が持つジャズのイメージに近いものが反映されてるかもしれませんね。

ジャズが好きと言ったら「シブいね!」とよく言われますし…

でも私がジャズに抱いているイメージって実はもっとポップです。

レコードのジャケットなど見ればわかるように、赤や青といったはっきりとした原色がロゴに使われていたり、バードランドの夜みたいにキャラクターが描いてあるものもあります。

写真が白黒のものが多いからどうしてもシックなイメージが強いのかもしれませんが、よく見るとデザイン性に富んでいて、すごくかわいいジャケットとかもあるんです。

 

 

 

 

 

そんな中、WOWの編集者である藤岡宇央さんの作品はとってもポップで一度見たら忘れられないキャッチーさです。

藤岡さんの作品こそ、ジャズアートの真髄に近いものを私は感じます。

 (今回の展示で藤岡さん以外の方は、ジャズを聴いて受けたイメージを作品にするというものなので、完全に音からのみのインスピレーションなのかもしれませんが…)

 

 

 

 

もちろん渋さは他の音楽より強いのかもしれませんが、ジャズの持つポップさもとても魅力だと思います。そう感じてるのは私だけでしょうか…

 

 

 

リアルタイム理不尽

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

今日の朝書いた記事に関連する出来事がちょうど起こったので書きます。

 

 

 

 

 

簡潔に言うと、書店でレジをしていて機嫌が悪いお客様に怒鳴られるという…

私の応答とかがマニュアル通りで、よく言えば丁寧、悪く言えばちんたら鬱陶しいということに気を悪くされてしまいました。

その方はお金を渡して本を手に入れるという動作だけで十分だったようで。

 

 

 

 

 

私も初めてのことでびっくりしてしまい、とにかくすみませんしか言えなかったのですが、 

お前みたいなマニュアル通りにしか喋れない人間が嫌いだの、すぐにすいませんって言うなだの、まあ完全に沸点に到達されていて。

あとから副店長がその方とお話して下さって、考えていらっしゃること自体がめちゃくちゃだとか、そういうことは無い方だったのですが…

たまたま機嫌が悪いところに私が出くわしてしまった…ということです。

 

 

 

 

 

おお、これこそ理不尽な体験か〜といい経験になりました。

その方が言うように、マニュアル通り制度化された社会が気に入らないという方の意見は十分わかりますし、考えさせられるなと思いました。

 

 

 

 

 

 

けれど、その怒りをどこにぶつけるかという話です。その社会に対しての鬱憤をもっと別のところで晴らしてくれよ、センスないな…という感じです。

まあ私が単にナメられて、晴らしやすそうだったからそうしたのかもしれませんが、なんだか悔しいですね。 

理不尽体感済みですので、ちょっとは耐性ついたかな〜

 

社会の理不尽さ、無駄、非効率

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

今回いただいたご質問は

今まで実際に体験した社会の理不尽さ、無駄、非効率について。

 

 

 

 

 

まだ私も社会人ではありませんのでこれから経験していくことも多いのですが、とりあえず現段階で感じたことについて書かせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

まず「無駄」についてですが、私自身は無駄だと感じても、それが社会を維持するためには必要なことであるという前提があります。

「出る杭は打たれる」などはその例だと思います。先輩を差し置いて自分が活躍したりそういうことに申し訳なさを感じるということは実際経験しましたが、よく考えてみればなぜ負い目を感じるか。実際日本社会が実力主義よりもまだまだ年功序列的な考え方が根強いからではないでしょうか。出る杭はその社会をかき乱す存在にもなりうるわけで、社会を維持するために発展を遮ることもあります。そういうことに無駄だな〜と感じることはよくありますね。

 

 

 

 

 

 

 

次に「非効率」についてですが、この間体験したことがいい例に挙げられそうです。

私の働く書店ではポイントカードがあり、会員登録ではインターネットでの登録が必須となっています。

この間来店した年配のお客様は、インターネットがよくわからないから登録を店員にやってほしいとのこと。しかしプライバシー保護のために、お客様自身で操作してもらう必要があります。こちら側がそういう制度になっているので出来ないということを伝えても、そんなのいいからやってくれないかと少し口論になっている状況がありました。

店側からしたら、制度は変えられないし仕方ないという考えですが、

一方サービスの観点から見ると、より多くのお客様に本を買っていただくためにポイントカードがあるわけで、今回の事例はその目的にはそったことが出来ていないことになります。

 

 

 

 

 

つまり、社会を円滑に進めていくための「制度化」というのは逆に遠回りになったりするのです。なので8割は円滑に進みますが、2割にとっては目的に到達できないような、とても非効率な結果になってしまう。これは柔軟性をどこまで広げるかということなのですが...上記の例についてはとても制度が非効率に働いていると感じました。

 

 

 

 

 

 

そして「理不尽さ」について。

理不尽とは道理に合わないこと。上司が機嫌悪い状態で急に怒り出したり、いきなり無理難題を押し付けてきたり、そうしたことに「理不尽だ」ということが多いですよね。

私は恵まれた環境で育ったので、そうした個別的な事例で理不尽さを感じたことはあまりないのですが、この社会全体に対して理不尽だと思うこと。

それは、「社会ってこういうものだから」という言葉です。

何か納得いかない、それは正しいと思えないことでも、「まあ社会ってそういうもんだからさ〜」とまとめられてしまう。

とりあえずそういうものだと自分に言い聞かせているものの、しっかり考えてみたらなぜそれがまかり通っているのかわからないことだらけです。

 

 

 

 

 

 

例えばさっきのポイントカードの例をとってもそうですが、

社会においては少数派が圧倒的に不利で、場合によっては「悪」「不正」とみなされてしまいます。だから、そのお客様には面倒臭いお客さんというレッテルが貼られてしまうわけですが、数が多いほうが善ということは言えないですよね?

それは社会がうまく回るために多数派が有利になるということであり、社会を離れて考えてみたらその理論は放っておけない問題です。そんなことがたくさんある社会に今から飛び出すと思うと、かなり精神的にまいってしまいそうですが...笑

 

 

 

 

 

バイトをしている最中などはなるべく考えすぎないようにしているので、今こうして振り返って見ると色々見えてきて面白いですね。

ご質問者さん、ありがとうございました。

逆にみなさんはどんな体験をされてきたかがとても気になります。

またご意見などあればお願いいたします!