燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

Bobby McFerrin "CircleSong" CDレビュー#20

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

今日は私が以前から聴き続けてきたお気に入りの作品をご紹介。

 

 

 

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あの"Don't Worry Be Happy"で有名なアメリカのシンガー、ボビー・マクファーリンの”circlesongs”というアルバムです。

 

 

 

 

 

ボビー・マクファーリンは、チックコリアと共演したりしていているので、ジャズ好きな方にとってはおなじみのシンガーかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

この作品は、楽器なし。つまり、すべての曲が人間の声だけで作られています(エフェクトなどはかかっていますが...)。12人の歌手が美しく、時に不気味で神秘的なハーモニーを奏でながらじわじわと展開していく曲が多いです。

 

 

 

 

 

 

 

アルバムのタイトル通り、同じようなパターンをぐるぐる回っている曲で、私個人のイメージでは、お経とか、宗教音楽に近いものを感じます。単調なリズムがずっと続いていて、1曲通して大きな展開がないため、だんだん飽きてくる場合もあると思いますが、一定の流れの中で一筋だけスーッと変化が現れてくるところがなんとも美しい。

 

 

 

 

 

 

 

慌ただしい変化がない音楽は、聴くと気持ちが落ち着いたり、精神統一がしやすくなるので、自分を落ち着かせたい時にはこれを聴いています。

もしかしたら、この類の作品はあまり聴かない人が多いかもしれません。気になった方はぜひ聴いてみてくださいね!彼の透き通るような声が作り出す世界観にググーッと引き込まれますよ〜

上原ひろみ&エドマールin神戸! ライブレポート#13

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

今日は念願のあのデュオを見てきましたよ!

 

上原ひろみ&エドマール・カスタネーダ

ジャパンツアー初日の神戸国際会館

 

 

 

 

いや~、youtubeモントリオールの衝撃的なライブにであって間もないうちに、こうして生演奏が聴けるなんて、本当に嬉しかったです。

 

 

 

 

前回上原ひろみのトリオのライブに行ったときは3階席のかなり後ろのほうだったのですが、今回は一回席の前方で、二人の息づかいや、かすかな声が聞こえてきて、とっても臨場感があってよかったです。

 

 

 

 

 

前回のトリオに比べて、今回はデュオらしいインプロビゼーションといいますか、上原ひろみエドマールとのバトルが炸裂していて、そのぶつかり合いがかなり情熱的でした。ぐっと彼らの音楽に引き込まれて、気づいたらもう釘付けです。

 

 

 

 

そしてそして、エドマールのハープがかっこよすぎました。CDで聴いても、ハープってこんな演奏できるんだ!と思っていましたが、生で聴くとさらに表現の幅が広いことがわかります。ライブだと弦を弾くときの音や、爪と弦が擦れる音まで聴こえますし、今まで耳にしたことがない音が次々に飛んできていました。

 

 

 

とくに驚いたのは、エドマールがジャコ・パストリアスのために書き下ろした曲。ジャコのベースを意識した低音が聴こえてくるとおもったら、次はジャコのお好きなスティールパンの音色がハープから聴こえてくるんです。

エドマールの作曲センスも素敵でした。

 

 

 

 

なによりも楽しそうな二人を見て、こちらまで元気をもらえる(めっちゃ集中したので、体力は消耗しましたが)。そんなライブでした。

 

 

 

 

 

まだまだ書けることが全然あるのですが、今日のところはこのへんで。

 

 

 

 



「目が良さそう」

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

私はコンタクトユーザーなのですが、よく、

 

「え!!コンタクトしてるの?!ずっと裸眼かと思ってた。」

 

と言われます。

 

 

 

 

 

 

 

え、なんで?裸眼って誰にも言ったことないんだけど?というと、

 

「なんか目が良さそうだから〜。」

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも、そうかな?とか、へぇ...と返すしかないんですけれども、

 

目が良さそうな見た目ってなんだよ!!!!

 

と心のうちでは思っています。ムカついているとか、怒っているとかでは全然なくて、その根拠が一体どこにあるのかということが気になって仕方がない。

 

 

 

 

 

かなりの確率で、目が良さそうと言われるので、そこに何か共通認識的なものがあるのか?と思ったり。つまり、私のような顔立ちの人は大体目がいいという生物学的な(あるいはまた別の)根拠があるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

仮に、私のような顔立ちの人は大体目がいいという何かしらの根拠があるとしたら、次にその根拠はどこから手に入れたのか?という疑問が浮かび上がります。

 

 

 

 

 

 

これについては、私は二通りの方法があると考えます。

一つは、これまでの経験上、私の顔立ちに近い人が高確率で視力がいいというデータ、もしくは、その逆のデータ(これまで出会った目が悪い人が、私の顔とは正反対のタイプ)が蓄積されている場合。つまり、経験から得たデータによって根拠を導き出したとする「経験主義的」な方法。

 

 

 

 

となるともう一つは、この根拠が生まれた時からすでに与えられていた場合。つまり、先天的(哲学用語ではアプリオリと言います)にその根拠が私たちの理性に内在しているから、私のような顔立ちの人は目がいいという判断をするという方法。

 

 

 

 

 

 

これらはいわゆる「経験主義(後天的)」と「合理主義(先天的)」という、哲学においてかなり有名な二項対立のモデルです。一見、前者の方が当たり前のように思いますが、突き詰めて考えると、経験をかき集めても根拠にはなり得ないんですよね...

経験は無数に存在するので、経験のみで決定的な根拠を示すことは不可能に近いのです。でも、後者も後者であまり実感がわかない人も多いのでは。

 

 

 

 

 

ここまで書いて、目が良さそうな話題からこの話によく持ってきたな...と自分でも思っているのですが、何気無いことでも、こうやって考えてみると人生楽しいなと、哲学を学んでいると思います。

 

 

 

 

 

私がなぜ「目が良さそう」なのか。これについては、また新たな見解が見つかり次第、研究発表させていただきます。

 

おもしろジャケ写 パート1

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

気ままに作ってみた新コーナー。ジャンル問わず、面白いと思ったCDのジャケットについて書いてみようかと。

 

 

 

 

 

 

今回の作品はこちら↓

 

 

 

 

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かっこいいジャズトランペットの代名詞、フレディ・ハバードのアルバムですね。

 

 

 

 

 

 

飛んでくるトランペットとそれをみているフレディの図。これだけみたら、フレディ全然かっこよくありません。

にしてもこのジャケット、どんなコンセプトなんですかね...

とても想像力が掻き立てられます。

 

 

 

 

 

 

 

ここからはあくまで私の想像ですが、とにかくトランペットを飛ばしてみたかったのでしょう。フレディの豊かな表情を撮りたかったという可能性もありますが、それにしてはあまり目立っていません。

フレディをメインにするなら、なぜこんなに壁から「ぬっ」と出てきたような配置にしているんでしょうか...

 

 

 

 

 

 

 

しかも一番の注目ポイントは彼の手です。

手の甲を上にしていますよね。

 

 

 

 

 

 

つまり、飛んできたラッパを受けとめようとはしていないのです。

受け止めるなら手の甲は下にして、抱えてキャッチするのが一番安全です。

彼の手のまま楽器をキャッチしようとすると、突き指する危険性もあるのに、なぜあえてリスキーな手のポジションなのかが最大の謎。もしや、手の甲でものをキャッチするという新しい試み...?

 

 

 

 

 

 

 

と、まあこんな感じで想像していたら、なんだかとても面白くなって、書きたくなったということです。

また面白いもの見つけたらこのコーナー更新したいと思います〜

ではでは。

 

 

今日は頑張った!

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

今日は一日中バイトだったのですが、10時間くらい働いていました。自己最高記録更新です!パチパチ!

 

 

 

 

 

 

 

いや〜、めっちゃ疲れました。バイト中は基本ずっと動き回っているので、足が棒のようになって、自慢のでか声も最後の方は流石にカラカラに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肉体的な疲労感はありますが、精神的には達成感といいますか、仕事をやり終えてスッキリした気持ちです。限界を超えにかかって無事にことを成し遂げたこの感覚。こういう気持ちになるのは久しぶりで、この自分の精神状態を考えてみると、普段から全然自分に負荷をかけていないということに気づきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は基本自分に甘いので、あまり無理しないようにと思っていつも行動しているのですが、やはり可能な限り、適度に自分に負荷をかけていかないと、自分自身に満足できないと感じました。いろんなことに挑戦して頑張っている自分と、無理せず楽している自分では、頑張っている自分の方が好きですし、自分で自分を褒めてあげることもたまには必要なのかも。

 

 

 

 

 

 

ということで、今日の自分はよく頑張りました。こう思える日を少しづつ増やしていこう。

 

見かける人

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

駅のホームや電車の中、道中で楽器を持ち運んでいる人を見かけると、不思議とテンションが上がります。

ああ〜、この人も音楽に打ち込んでいるんだと思うとなんだか嬉しくなりますし、

持っている楽器から、その人が取り組んでいるジャンルを推測したりするのが楽しいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分と同い年くらいの人を見かけたら、私も頑張ろう!とやる気が湧いてきて、

中学生や高校生を見かけたら、頑張れ!と応援したくなりますし、

年配の方を見かけたら、歳を取ってもなお燃えている音楽に対する熱い思いに心打たれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉を交わすわけではないけれど、ふと街中で見かけた人から何か気づきを得たり、パワーもらえたりするものです。電車の中ではスマホとイヤホン、周りを全く気にしないというスタイルが(特に若者の間で)定着しつつありますが、たまには周りの人々にあえて注意を向けてみるのも面白いかもしれませんよ〜

哲学を学んでいると

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

今、大学で教育学の授業を受けています。普段は哲学を専門に学んでいるので、とても新鮮で大変面白いです。

 

 

 

 

 

 

 

今日の授業では、学校の校則や体罰について学んだのですが、ここで哲学科の悩みが炸裂。

 

 

 

 

 

「校則は生徒の自由を奪っていいものか?」という疑問に対して、

→いや、まず自由ってなんだ?自由の定義からしっかり考えていかなければ。

→自分の中で様々な思考を巡らす。

→結果全然授業の話が頭に入ってこない。

 

 

 

「愛のある暴力は暴力ではないというが、暴力を加えている側が愛を持っていたとしても、受け手がその愛を感じずただただ苦痛を感じることもある」

→一方的な愛は果たして存在するのか?

→愛の定義からしっかり考えていかなければ。

→(以下同上)

 

 

 

 

 

 

これですよ...

この気になった言葉などを哲学的に考えてしまって、他学科の専門を受けているにもかかわらず、最終的に哲学的な問題について自然と思考してしまっているのです。

様々な学問を学んで、多様な視点を持つことが目的なので、そこはしっかりとわきまえて教育学の視点を学んでいかなければいけないのですが。

気になったことでも、とりあえずメモっておいて後で考える癖をつけようと思いました。