燦太郎の「表現日記」

思っていること、考えていること、本やCDのレビューなどについて毎日書きます。

他人への不満

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

気がつけば他人への不満が溜まってしまっているときってありますよね。自分が思うように周りが動いてくれないとき、自分ばっかりが損しているんじゃないかと思う時など、様々な状況があるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

私もたまにダラダラと愚痴ってしまうことがあるわけですが、そういうときは大抵自分のことがちゃんとできていない時が多いです。つまり自分自身がちゃんと充実した状態ではないということ。自分のダメなところを隠すように、他人の粗探しをし始めるんです。そういうことに美しさは全く感じないのですが、無意識のうちに自分もやってしまっている時があるから怖い。

 

 

 

 

 

 

 

そもそも目の前のことに真剣に取り組んでいたら、愚痴っている暇なんてないはずですし、愚痴る時間があるということはまだまだ自分も時間も余裕があるということです。

時には不満を表に出すことも必要ですが、その不満を出すことが今後に対してどのような生産性があるかを考えたほうがいいなと感じました。

 

 

 

 

 

 

...ということを書きながら今日の自分を反省中。もっと時間を有効に使おう。

道徳教育

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

小学校の頃に「道徳」という授業がありませんでしたか?私と同世代の方だったら受けたことがあると思います。これはゆとり教育の一環でもあると聞いたことがあります。

国語や算数の能力だけでなく、もっと精神的なことも教育に入れていくという取り組みで、週に一回障害者のある方のビデオを見たり、いじめについてのドラマを見たりしました。

 

 

 

 

 

 

 

自分がその授業を受けていた時は、結構積極的にその授業に参加していたように思うのですが、今思えば道徳教育にもいろんな問題点があったなぁと思います。

授業の後には必ず感想文のようなものを書くのですが、振り返ってみれば、ある程度自分の中で書く答えが決まっていたような気がします。

「いじめはいけないと思った」「いじめられている子がいたら助けてあげようと思った」といった感じで、先生によくできましたのハンコがもらえる回答を知った上で毎回感想文を書いていました。

 

 

 

 

 

 

 

これはある意味では教育成功の例なのかもしれません。いじめはいけないことだ、差別はいけないことだという答えがすぐに返ってくる人間を教育できているわけですから。

でも学習という点ではどうなのかな〜と思います。いけないとされているからいけないという段階よりも、なぜいけないのかということを学ぶのがより進んだ教育のように思います。小学生の時点でそれを学ぶのは早いとも言われそうですが、一時間で決められた答えを出す学習よりも、結論は出なかったけれども一時間考えた学習の方が、あとあとその人にとって意義あるものになる気がします。

 

 

 

 

 

 

 

そして、今気になることは、学校の先生がどういった指導マニュアルで道徳の授業を行なっていたか。普段の授業では学べない倫理観の育成などが目的なのでしょうが、結局その目的の中に均質化された生徒像があったのではないかと思うのです。

おそらく「思いやりのある生徒」などでしょうが、そうした教育が、自分のことばっかりにとらわれず、周りの空気をしっかり読み、助け合いの精神を美しいとする日本の「ケア倫理」的な社会を生んでいるのでしょう。その倫理観が悪いとは決して言いませんが、その感覚が絶対善ではないということを知っておくことは重要です。

 

 

 

 

 

 

 

道徳の授業に関して優秀回答以外に対してしっかり対応できる先生がどれくらいいたのかも少し疑問です。もし日本の倫理観では当たり前のことに疑問を抱いた生徒がいたら、どういった評価を先生たちはつけていたのでしょうか。しっかりその生徒に向き合ってくれる先生もいるでしょうが、全員が全員そうではないような気がしてなりません。いっそ道徳の専門家みたいな人に授業してもらうようにしたらよかったのではと今では思いますが...

 

 

 

 

 

 

 

今道徳教育がどうなっているかあまりわかっていないので、これを機に調べてみるつもりです。またこのことについては書くかもしれません〜

 

センター試験

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

 

先日2日に渡るセンター試験が終了しましたね。私の大学も試験会場になっていて、一部立ち入り禁止になったりしていました。

 

 

 

 

 

 

この時期になると、今だに試験前に緊張感とかが蘇ってくることがあります。

センター試験はすごく苦手でした。いかに効率よく、スピーディーに問題を解くかが試される試験なので、いつも焦って空回りしていることが多かったような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

特に数学なんかは全然成績上がらなかったです。もともと数学が苦手な上に、計算の速さまで求められたらもうお手上げでした。いや〜、懐かしい。

 

 

 

 

 

 

こうした決められた時間内に素早く答えをだすという試験形式が取られているということは、そうした頭の回転が速く、効率のよい人がこの社会を先頭で動かしていく優秀な人たちであるということです。そういう人たちが社会に求められているということなのかもしれません。

しかし、どうやら今後社会で求められる人材に変化が現れているようです。これから大学受験の形式が変わっていくという話を本で読みました。従来の暗記詰め込み効率重視よりもアイデアや深い思考能力が試される試験が導入されるのだとか。

 

 

 

 

 

 

こういった変化が起こると、天才的な頭脳の持ち主はともかく、天才的までとは行かずとも「賢い子」という評価基準もだんだん変わってくるのかなぁと思ってみたり。アイデアマンが社会に必要とされると、これまでは成績優秀とあまり言われなかった人たちが台頭してくることも十分に考えられますよね。

などなど色々考えてみると、試験での評価も一種の社会性を反映していると感じました。必要とされているところにきちんと向かえる人が優秀とみなされているという前提があることをしっかり理解しておく必要があると思います。優秀という評価は絶対的なものでなく、意外と流動的なものなのかもしれません。

平等と競争心

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

これまで、小学校や中学校で、「みんな平等」と教えられてきました。

でもこの数年間で、人間は平等じゃないという結論に私は至りました。

 

 

 

 

 

美しい容姿で生まれてきた人と、そうでない人では明らかに与えられたものが平等ではないと思います。やはりどう考えたって世の中には優劣というものがあるんです。

 

 

 

 

 

 

でも私は優劣をつけること自体が悪いことだとは思いません。何に優劣をつけるかというセンスは重要になってくるとは思いますが...

優劣がつくところには競争というものがつきものになってくると思います。競争が優劣を生み、優劣がまた新たな競争を生む、という繰り返しです。

競争心って人を奮い立たせる一つの重要な要素だと思います。自分が劣っているのが悔しい、もっと上を目指してやるという気概がその人をパワーアップさせています。

 

 

 

 

 

 

 

私自身は結構負けず嫌いなので、ほかの人より優れていたいという思いも強いです。

けれど私の周りでは、あまりそう思っていない人が多いように思うのです。もちろん負けず嫌いで、上を目指す気概がある人とは気が合うので付き合いを持っていても楽しいのですが、最近は正直、競争心がない人の気持ちがよくわからないのです...

 

 

 

 

 

 

なぜこんなにも競争心がないのか、その人と自分の気持ちはどういうところが違うのかというのを考えていました。すると、「平等」ということと関係あるのではという話を聞いて、なるほど納得。

昔はテストの成績がみんなの前に貼り出されたりしていましたが、いまは非公開が多い。

幼稚園のお遊戯会での劇では主役の桃太郎が1人ではなく5人くらいいたり(これはみんな主人公になれるよみたいなアピール?)。

こうして幼い頃から変に「平等」が使われて来た影響が少なからずあるように思います。優劣を前面に公開することに関して否定的な風潮が、競争心の希薄化に繋がっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ここで注意。確かに基本的な人権とかは平等です。命に重さについて簡単に差をつけることができない感覚は私も持っています。ポイントなのは、これらは「権利」が平等ということです。個人の能力が平等ということではない。それをちゃんと意識していない人が多いのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

スポーツ競技など、お互いの権利をちゃんと認め合った上でする競争には一種の美しさも感じますよね。競争が良いとされていることもある中で、なぜ「平等」がこうした影響を与えるに至ってしまったのか、これからどういった変化を遂げていくのかについてはまだまだ考える余地がありそうです。

 

先輩のライブへ

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

 

昨日はいつもお世話になっている先輩方のライブがあり、神戸まで行って来ました。

外はめちゃくちゃ寒かったですが、寒さが吹っ飛ぶほど楽しいライブでした。

前の方で聴いていたということもあり、あんなに集中して聴き入ったのは久しぶりだったかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

2バンドの対バンで、1stと2ndで違ったタイプのジャズを聴くことができ、とても満足感がありました。同じジャズといえども、ここまで作り出せる世界観が違うとやはりジャズって面白い音楽だと思います。最近古めのジャズを聴くことが多くて、コンテンポラリーのライブが久しぶりだったので、昨日の演奏を聴いてまたコンテンへの熱が高まりました。

 

 

 

 

 

 

 

そして何と言っても先輩たちが偉大すぎます。同じ大学生としての時間を過ごして来ているにも関わらず、先輩は自分は到底追いつけないと思うところにいつもいて。

自分が練習すればするほどそのすごさに気がつきます。

しかし、今回のライブではそうした尊敬の気持ちと同時に、自分自身いつまでも先輩に追いつけないと思って立ち止まっていてもダメだと思いました。先輩にぶつかっていけるくらいうまくなりたいと思いましたし、もう無駄に怖気付くのはやめようと心に決めました。

 

 

 

 

 

 

自分もいつか後輩のやる気に火をつけるようなライブができるように頑張っていきたいです!

セッションでの出会い

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

 

最近いろんな方とセッションする機会が増えて、刺激を受けまくっています。

いつも一緒にやっているメンバーとはまた違う演奏になってとても面白いと同時に、発見がたくさんあります。

ジャズを始めたての頃は、何もわからず音を出している時がほとんどでしたが、今はいいと思う音楽を共有できたり、一緒に盛り上がったりすることができるのが純粋に嬉しく思います。

 

 

 

 

 

 

 

これまで自分の演奏の下手さに打ちのめされ続け、精神的に追い込まれることがほとんどでしたが、最近はやっぱりジャズやっててよかったなと思えるようになってきました(多分また次のステップで打ちのめされるとは思いますが)。

 

 

 

 

 

 

 

そう思えるようになったのは、これまである意味では当たり前になっていた、「音楽を通して人と出会う」ということの素晴らしさに改めて気づけたことが大きかったと思います。

今仲良くさせてもらっている人のほとんどが音楽を通じて出会った人ですし、音楽が私と他の人の出会いを結びつけてくれているんですよね...

 

 

 

 

 

 

いろんなことが相乗効果になっているんだと思います。練習を頑張ったら、自分の演奏がよくなっていくのはもちろん、いろんな機会を与えてもらうチャンスが増えると思いますし、そこでまた素晴らし人と出会い、またまた刺激を受けて練習したり、多くのことを学べるという。

これまでを振り返ってみても、そうしたサイクルが自分の中にはあるのではないかと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

音楽は人との出会いを私に与えてくれ、人間としても成長させてくれています。

いい演奏をして音楽に恩返しできるようになりたいです!

 

今日は特に

 

 

 

 

どうも。燦太郎です。

 

 

 

 

 

 

 

いや、寒すぎませんか?

どうなってるんでしょう。この寒さ。

今回の冬は特に風が強すぎる。歩いていても風でまっすぐ進めないくらい強い。

 

 

 

 

 

 

私の地元ではまだですが、どうやらあちこちで雪も降っているようですね。

寒さは私の天敵です。全てのやる気を削ぎ落としていきます。効果はバツグン。

 

 

 

 

 

特に辛いのが、寒さって楽器の演奏にダイレクトに影響してくること。

そもそも寒さに強い楽器とかないと思います。ピアニストなど指を使う楽器の方は指先の冷えから動きが悪くなったりしますよね。

その中でもやはり管楽器って寒いと不利な楽器だと個人的には思っています。

そう感じる時のステップを以下にまとめてみました。

 

 

 

 

 

 

1.まず楽器を手に持った時点で、楽器から体温を奪われる。

自分は体験したことないですが、チューバとかユーフォニアムの人は冷たい金属の塊を抱えなくてはいけません。想像しただけで冷える。

 

2.(金管楽器の場合)唇がうまく震えない。

これはつまりいい音が出ないということですから、暖かい時期よりも時間をかけてゆっくりほぐしていく必要あり。私はたまに血流を良くするために口周りを温めたりもします。

 

3.指がかじかんでよく回らない。

他の楽器様と同様です。この点に関してはラッパはまだましですかね。

 

4.音を出す前に楽器を温める時間を要する。

金属の熱伝導の速さを侮るなかれ。他の楽器がソロしている間にもどんどん楽器が冷えてしまっています。

 

5.音程が上がらない。

これは一番悩みます。今はまだましになりましたが、吹奏楽やっていた頃はみんなと全然ピッチが合わずに苦労しました。私はもともと低めに音が出るので、さらに低さに磨きがかかってしまい、楽器の管もこれ以上調節できなくなるともうお手上げ。

 

 

 

 

 

などなど、冬には突破しなければならない関門が多くあって大変です。

プロのトランペットの方に聞いた話によると、2月に野外ライブしたときはもう死にそうになったそうです。イベント運営の方はきっとそんな苦労は知らず野外を設定されたんでしょうね...酷い...。

 

 

 

 

なんだか特にこれといったことを書いていないのですが、とにかく。

暖かい春よ!早くきてくれ!カモン!Joy Spring!!!